自由を預かってくれるわたしへ
25歳くらいの一年間は、不思議な時間だったのかもしれない。
仕事をやめて、けれど夫と結婚する少し前で、好きなことをしたり、好きな友達に会ったり、今にして思えばあれはまさに"悠々自適"な暮らしだったのだと思う。
朝方に寝て昼頃に起きても誰にも咎められないし、行きたいときにパン屋さんへ足を運び、揺れる洗濯物を見て目を細め、ソファに身を預けながら、書きたいときに思いのままに文章を綴った。
そのときのわたしは、これまでの人生の中でこれほどまでに自由な時間を過ごすのは初めてだったものだから、少し戸惑って、ささやかな焦燥感を抱いていた。
このままでいいのだろうか、と。
人は、学校や会社というなんらかの組織に属していないと、強制された人間関係を築きにくいように思う。
あの頃のわたしの交友関係は、ほとんどすべて自分が選び取ったものだった。
共に生活するのは、波長の合う恋人。頻繁に会うのは学生の頃から気心の知れた友人たち。
わたしの周りには、付き合いも長く、わたしのことをよく知ってくれている人しかいなかった。
だからこそ、そのことが少し気がかりだった。
わたしは今、好きな人としか関わっていない。なんの我慢もない。それで良いのだろうか、と。
このまま、わたしは自分の味方をしてくれる人だけをそばに置いて生きていくのだろうか。
それは甘えではないだろうか。
その問いは、やさしく穏やかな毎日の中で時折いじわるにわたしの脳内に現れては消えていった。
◆
それから数年経って、いまのわたしの交友関係の中に大きな変化が訪れた。
それは、交友関係ではなく、わたしの生き方そのものをひっくり返すような大きな存在と言っても過言ではない。
なによりも優先して守らなければいけない命、娘が生まれた。
いまのわたしは、自分の時間や身体、精神、思考のほとんどを娘に注いでいる……いや、捧げているという表現が正しいのかもしれない。
とにかく、娘一色の毎日を送っている。
スマホで調べることは、離乳食や娘の発達に関すること、心ときめくものは、自分の洋服ではなく、娘の髪飾りや愛らしいデザインのおもちゃになった。
日がな寝転がっては、ぼうっとすることが大好きだったこのわたしが、耳鼻科へ行くために泣く娘と格闘しながら彼女に点耳薬を差している。
決まった友人と遊ぶことが何よりの幸せだったこのわたしが、娘の刺激になればと思い、近所の支援センターで新しいコミュニティに身を置いている。
別にわたしの中身が丸ごと変わったわけではない。
相変わらず、揺れる洗濯物を眺めるのは好きだし、友達をつくるのは得意ではない。
仲の良い友人は今何をしているだろうかと考える瞬間も多い。
けれど、日々不器用に懸命に生きているいまの自分が嫌いではない。
忙殺という言葉を身を持って体験しているいま、あっという間に過ぎ、くたくたになる身体と思考の隙間に、そっと我に帰る瞬間がある。
冷静に考えてみると、眠りたいのに寝ずに怒り狂い、気を抜くとあらゆるものを口に入れ、テーブルを噛み、顔のあっちこっちにごはんの粒が付いている人間なんて、今まで付き合ったことがない。
ここ数十年、眠りたい時は寝る、テーブルは噛んではいけない、きちんと行儀良く食事することが当たり前の大人としか関わっていなかったわたしにとって、豪快で突拍子のない、ついでに常識なんて言葉もまだ存在しない娘はあまりに異質で、それが多少の息苦しさを与える瞬間もあれど、基本的にはかなり愉快だ。
少々汚い話になるが、自分ではない他人の便が一日出ないだけでここまで心配したことがかつてあっただろうか。
一日二日出ていなかった便が出たことを、「ああ、よかったあ」と声をあげて喜ぶことがあっただろうか。
娘の存在そのものも尊いけれど、娘によって変化させられた自分もとびきり興味深い。
そのことにおかしみを感じる毎日だ。
そう思うことができるのは、この日々もいつかゆるやかに変わっていくものだと知っているからだ。
そして、あの25歳のわたしが恐ろしいまでの自由というものを、ほとんど持て余すほどに謳歌していたから。
いまのわたしは確かに、自由という言葉が唐突に家出をしてしまったような感覚がある。
うまくいかないことが続くと、自由よ、はやく帰ってきてくれと叫び出したくなる日もしばしば。
もしかして、わたしの自由はもう永久に帰ってこないのではないだろうか、なんて小さく絶望する。
けれどきっと、わたしの自由はあの25歳のわたしが預かってくれているのだろう。
あの日々には意味があり、価値がある。
だから、「このままでいいのだろうか」なんて考えなくて良い。
人生の中には、少しだけ頑張らなくてはいけない時期があって、それは人それぞれちがうし、その時が来たら迷う暇もなく走らなければいけない。
しかしそれは、ある意味幸福なことなのだと思う。
25歳のあの日々は、宇宙空間に放り出されたような、暦から切り離されたような、不思議な時間だった。
誰のためでもない、自分のためだけに生きていた。
あの白昼夢のような毎日があったからこそ、いまわたしは娘を抱いて、夫とともに目まぐるしい現実を生きている。