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ねぇねぇ聞いてお母さん


お母さん

小さい頃、母が大好きだった
なんでもかんでも 何かある度に母に報告した。
母は台所で家事をしながら笑顔で聞いてくれた。
母が大好きだった。

小学生高学年になり、
母はあまり話を聞いてくれなくなった。
逆にマイナス面ばかり指摘されるようになった。
怒られる事が増えた。

そして中学生になり、
母は更に僕の話を聞かなくなった。
昔から褒めてくれる人ではなかったが、
とにかく勉強勉強の一辺倒。
テストで良い点をとっても全く褒めず、

「他の子はもっと良い点取ってるでしょ」

中3になり塾に通わされ結果が芳しくないと別の塾へ。
勉強嫌いに拍車がかかった。

隠していた兄から拝借したグラビアエロ本を暴かれ机に置かれた。
「こんなふしだらな子に育てた覚えはありません」そう書置きがあった。
あの頃、性への衝動は悪い事だと思っていた。

音楽へのトラウマ

音楽の内申が2だったので
音楽教室で笛のレッスンを受けさせられた。
(音楽は筆記は高得点でも実技(笛)が苦手だった)
狭いピアノのある教室で
「コイツ何でこんなのもできねぇんだ」
髪の薄い講師のしかめ面は今も記憶に残る。
(当然講師は笛は専攻ではなかったのだろう)
音楽が嫌いになった。
今でも楽器に触る事ができない。

最近、そんな昔の話を母にすると、
「そんな事もあったわね。
私もあの時は先生達に色々お願いして大変だったわー」

軽く笑いながら話す母に胸が疼いた。
僕は苦笑した。
あの時代の「教育ママ」ってヤツの一例だ。

高校生になった

高校はなんとか第一志望に入れた。
誰かと話したくて仕方がなかった、
と、いいたいところだが、視野も世界もまだ狭く、
読書も嫌いではなかったが、ラノベ位しか読んでなく、
大してネタも思想も持っていなかった。

ゲーム会社勤務のいとこのおじさんの影響もあり、
ゲームの企画書やTTRPGのシナリオばかり書いていた。

東京都青少年洋上セミナー

高3の夏に「東京都青少年洋上セミナー」という企画に参加した。
都内の男女高校生を集め、船で中国に行き交流をするといった、
公費を使った、いかにもあの豊かな時代ならではのイベントだった。

僕はここで初めて色んな人と話す機会を得た。
エリート男女から障がいの子まで。
合コン恋愛ごっこみたいな事をする男女もいたが、
僕は当時から自分は精神的にガキだと認知していたこともあり
分け隔てなく話し、色々教えてもらうのがとにかく楽しかった。
3年というだけで下の学年の子にも慕われた。照れくさかった。
難聴の子に手話を教えてもらった。
最終日にファイルの表紙に寄せ書を沢山書いてもらった。
「ああ、こいつらと もっと交流したいな」
そう願ったが、叶わなかった。みんな離れていった。

大学生

推薦枠があったので受験にはさほど興味がなかった。
多分当時は最高倍率の年だったし、入れればどこでも。
夢も志望もなかった、なんとなくな時代。

そうして附属の大学に入ったが、
新設校の一期生、専攻もほわっと文系。
学校が遠いこともあり
必修科目だけこなすと、段々と通わなくなった。
つるんだ仲間は初カノと数人の友人。
仲はそれなりに良かったが、
何かを熱く討論した記憶はない。
変化は3年次から始めたゲーセン店員のバイトだった。
常連、お客さん、色んな世代、様々な職業の方々と
タバコの煙が漂う中、店員特権で話ができた。
バブルが弾ける前、豊かだった。楽しかった。
そして同人誌活動。
今でも自分を支えてくれる、頼りになる親友ができた。

なんとかなる!
頑張れば必ず夢は叶う!と
街中のスピーカーから流れていた。

褒めてくれるのはゲームだけだった。

少し時代を戻す。
ファミコンブームの折、
ドラクエをはじめRPGの時代が本格化した頃、
褒めてもらえない、認めてもらえない僕にとって
ゲームの世界の住人は優しかった。
脅威となる魔物を倒したり、住人の問題を解決すると
必ずお礼を言われ、称えられ、報酬すらもらえた。
そんな僕にとって「魔物は倒すべき」という認識になって拗れた
だから現代まで続く魔物のお友達キャラクター化は苦手だ。

母は元地方大旅館の大家族のお嬢様。
多分、他の親戚は殆どが旅館脛齧りでまともに働いていなかっただろう。
(パン工場経営一家と海外在住一家は除く)
母方一族でサラリーマン一家はうちだけだ。

汗水流して働いた事がない。苦しんだことがない。
仕事の人間関係で悩んだことなんかない。一生ない。
学生時代にいじめにあった事もない。
むしろ差別していじめていた側だった疑いもある。
それからは基本専業主婦だ。
昔も今も、僕の気持ちなんか一生分からないだろう。

補足として父について少し記す。
父を振り返ると、兄にも僕にも口数少なくも大事にしてくれた。
父と大声で口論になることは人生で一度もなかった。
同人活動も応援してくれた。
次男が何をしているか全く理解しなくても応援してくれた。
コミケ会場まで車を出してくれた恩はずっと忘れたくない。

亡くなる前日の病室で
「お前はお前の道を行け」と言われた。
あれからも精一杯やってきたんだけどさ、
この道で良かったのかな?お父さん


〆に入りたい

内容を読み返し、
「なんだ?結局お前の母へのヘイトを綴りたかっただけかよ?」と
自分でもツッコミたくもなる。

甘えるな。
仕方がない。
肉親ですらこんなもんだ。
他人に期待するだけ無駄なんだ。

僕は今までフラフラと生きてきて、
ネットで出会った人とたくさん交流をして
ようやく気づいたこと、

自分自分!自分の話を聞いてほしい!同調してほしいエゴ

同情話を1から10まで話したって相手は絶対に靡かない反省

上記2点を自己に消化するまで、えらい時間がかかりました。

こうして僕は変わりました。
今では多くの人に慕われ尊敬され充実した人生を送って・・・

なんてわけないだろ!!
相変わらず自身のクソバカさ加減に泣けます。

何を伝えるべきなんだろう?
何を言っちゃいけないんだろう?

迷いますけどここ(note)を含めて文字で残した以上は責任があります。
これからも正解ぽいことばかりは、もちろん出せませんけど、
なるべくキレイな言葉で足掻いていこうと思います。
LOL

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