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悲しみのない世界を望む人に聞きたくて

悲しみについて考えるとき、昔のことを一つ思い出す。
悲しみがない世界を望む、大人たちについて。

子供の頃、信念を持つ大人たちが、笑顔で語るのを聞いていた。
「神様によって悲しみのない世界がきます。それは素晴らしいことだ」って。

それを聴きながら子供の私は少し考えていた。

「悲しみのない世界ってそんなにいいものなのだろうか」って。

だって私には
悲しみがない世界も、悲しみがない私も想像できなかった。

当時中学生になる頃の私ですら、
私の一部は悲しいことで成り立っているのを知っていた。

悲しみを乗り越えて、今の私があることをわかっていた。

泣いた日の思い出のあとに仲良くなった友達がいたり、悔しくて辛かった日の後に、だから強くなろうと思えた日があったり。
そうやって乗り越えたけど、いつまでも悲しみは胸にぎゅっとある思い出、それは当時にも小さくともたくさんあった。

だから大人が語る、
『悲しみがない世界に行って悲しみがなくなる』っていうのは、この悲しみから得た、今の私もなくなってしまうことなんじゃないかなって思ってた。

もしくは痛みを感じなくなるのだろうか。悲しむ機能がなくなるのだろうか。

ただ悲しむという感情がなくなったら?それはもう私じゃない気がしたし、
もはやそれは人間でもないような気がした。


いやいや大人が言っているのは、
これ以上、悲しいことがない世界というニュアンスかもとも考えた。

ただ、彼らが言う悲しみがない世界に行ける人は
神様を信じる限られた人たちだけの予定だった。

『その世界になった時点で多くの人がいなくなる。』

わたしには謎だった。
その悲しみのない世界に行った人は、そのことを悲しまないのだろうかって思った。

多くの人が今の世では平和がないと、世の中を嘆く人たちが、それに気づかない。

私の知っている大人は、
優しく笑顔でそれを教えてくれる大人は。
実は悲しみのない世界なんか行かなくていいと思っている『私』が、その時にいなくなっても悲しまないのだろうか。

それとも世界に行ったら、悲しい存在になったもののことは、もう忘れてしまうんだろうか。
私は忘れられてしまうのだろうか。

そういうことを大人の横で考えていた。


大人たちは悲しみのない世界ということにのぼせて、
そういう想像力すらないのだろうか。
それとも、善意のふりして結局は自分たちだけ助かればいいのだろうか。

そういう疑心暗鬼があった。

そしてわたしは、誰かに悲しみのない世界を与えられるとしても、
悲しいことを忘れたくないなあと思った。


きっとそれはわたしの根本の一つになっている。

かなしみについて考えること。

大人は悲しみのない世界を与えてくれるのを
まるで祝福のように話すけど

けど、私は悲しいことって忘れていいんだろうか、って
小さい時から考えていた。


悲しいことはたくさんある。

忘れられる世界に行けるなら、忘れられる世界に行けたらそれがいいのか。
その甘い夢を見れるならそれがいいのか。
どうしようもないくらい悲しいなら、それはしかたないのか。人間でなくなっても。かなしくなるほど大切だったものを忘れても。


それとも、痛みを抱えて生きていくか。

悲しいことはそれ自体が悲劇として起きる、というよりは

生物として生きる過程で生じる生存競争の諸々に痛みを感じてしまう私たちが人間なのかなって思ったりした。


動物と違ってそのことに悲しみを持てる思考と感情があるのが
人類なんじゃないかなって思ったり。



私はかなしいことに生かされた人間だから
誰かに託さずにやっていきたいなって、そんなことを思った。





***


大人は 神様を
愛していると言って
その言葉を信じている

わたしは わたしの友達を
『あいしている』けれど
ただその言葉を聞いて 信じたりはしないわ

『あいしている』友達は
おしゃべりをして、おいしいものを共に食べ
晴れた空の下 ピクニックを一緒にするの

大人は 神様が
悲しみのない世界を作ってくれるっていう
それを喜ばしいこととして

もし大人が言うように
悲しみのない世界が来たら

神様は たった一人
悲しいを知るものとして
過ごすことになるのかな

「神様は完全だ」って大人は言う

そうならば

全てを知っている神様が
悲しいを知らないはずはなく

大人は 神様を
愛していると言って
いつか神様を一人にする

ひとりぼっちの神様をおいて
大人たちは 幸せになる

わたしは
わたしの友達を『あいしている』から
一人にはしたくないなぁ

『あい』って
そういうものでしょう

わたしは
大人たちの言う様に
神様を『愛して、信じる』 
その代わりに

いつか神様と
友達になれたらって

晴れた日はぼんやり考える





果ノ子

(自分で書いていて、なんて抽象的なことばかり考えていたんだろうなーって思うけど。抽象的に育てられたのだから仕方ない。)
(ちょっと改定しました。

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