ラウンド間の読書録―バットマンとデッキビルダーの関係性について―
はじめに
私の名前は,ハット。
普段は,マジック:ザ・ギャザリングと呼ばれるカードゲームをプレイしている。と言っても,本記事は,カードゲームに関するものではない。
普段カードゲームの大会に出ていると,ラウンド間(各試合と試合の合間)でどうしても待ち時間が発生する。次の対戦まで20~30分なこともざら。オンラインでの大会となれば,ラウンド間の時間の使い方はなおのこと自由であり,課題でもある。
友人と談笑するのも有意義な過ごし方の一つだが,私は本を読むのが好きなので,読書に耽っていることも多い。
本記事では,そうして読んできた書籍達をご紹介しようと思う。1本の記事あたり3冊,できるだけジャンル被らない3冊を選んでいくつもりだ。もちろん書籍の選択は,完全に私個人の趣味であり,本記事も備忘録的なものでもある。が,少しでも興味を持ってもらえた書籍があれば,手に取って頂けると幸いだ。
また,マジック:ザ・ギャザリングについての記事も,note内で2024年3月時点で9本程執筆しております(こちらから)。統計データでMTGを語ったり,ローグデッキを真面目に調整した過程等、多岐にわたっております。有料記事も多いですが,満足いただけるだけのコンテンツとなるよう誠心誠意執筆しておりますので,そちらもぜひ一読くだされば幸いです。
本記事は,全文無料となっております。ですが,もし気に入って頂けましたら,サポート頂けると大変うれしく思います。次回以降の記事の励みになります。
それでは,どうぞお楽しみください。
今回の3作品
『クリストファー・ノーランの嘘 思想で読む映画論』
映画「ダークナイト」シリーズや,今年度アカデミー賞を席巻した「オッペンハイマー」であまりにも有名な,クリストファー・ノーラン監督。その作品群を時代背景や哲学の分野から考察した一冊。
タイトルだけ見ると何やらスキャンダラスな内容を想起させるが,”嘘”という言葉には,映画という媒体そのものが時間軸を意図的に切り取り,編集するという”虚構”を前提に成り立っていることを表している。
分かりやすいスター俳優やストーリーを軸にしつつも,裏ではどういったテーマを作品に乗せるか。現実と虚構のバランス良く備えた媒体こそが映画であり,それはまさにノーラン監督のお家芸ともいえる。そんなノーランの作品への多彩な解釈が堪能できる。
本書の中では特に「ダークナイト」シリーズにおける主人公ブルース・ウェイン/バットマンの考察が興味深く,シリーズが好きな方はより楽しめるだろう。
ヒーロー映画にありがちでいて普遍的な問い,「なぜヒーローにマスクは必要なのか?」「”ダークヒーロー”という位置づけが,なぜ魅力的に映るのか?」への回答も様々な視点で考察されている。英雄と正義の在り方について,非常に示唆に富む内容でもあった。
こちらは,映画『ダークナイト・ライジング』での一場面。『バットマン』シリーズひいてはノーラン監督の考える,正義と英雄の在り方を表したやり取りでもあると言える。
私個人,対人援助職に勤めているが,このセリフは大きな影響を受けた。人を支え・助けるという責務において,真に必要なことは対象者の回復と平穏な生活という「結果」であり,そこには「名を残したい」という個は抹消されてしかるべきという矜持でもあるだろう。
だからこそ,カードゲームという”虚構”の世界では,名(≒デッキリスト)を残したい欲求にかられるのかもしれない。いや,あるいは,普遍的に流行ったデッキこそ,洗練され,個が抹消された末の産物なのかもしれないが。
ノーラン監督の作品が好きな方はもちろん,映画を観ること自体が好きなのであれば,今後の映画鑑賞を豊かにしてくれること間違いなしの1冊です。
ちなみに,ノーラン作品の中では,初期の「フォロイング」が好み。20代でこんな映画を撮れているあたり,末恐ろしい。「ダークナイト」も30代で撮ってるなんて信じられん。
『渚にて』
核戦争で荒廃が進む世界での人々の在り方を描いたSF作品の金字塔。あらすじを読む限りだと,「生存者は果たしているのか」という冒険活劇的な要素が前に出されている。
が,本筋はそこではなく,「絶望的な状況が迫っているとき,人は何を大切にするのか」という点における,見事な人物描写にあると思う。作中の登場人物はいずれも,死の灰が迫ることに対してどこか達観した様子であり,そうした認識がうっすらと「空気」として既に共有されている。その中で人それぞれに,一見して無意味な生活上の心配や普段通りの仕事,そしてカーレース(!)のような刹那的なエンターテイメントに明け暮れている。
ただし,本作がディストピア作品かと言われれば,それは違うとも思う。吸う「空気」は同じでも,それぞれに信じたいものを大切に抱え,最期の時を受け入れようとする様子は,悲劇に屈しない豊かな精神の在り方をよく表している。終わり方をどのように取るかは人それぞれではあるだろうが。
それにしても,軍人が出てくる作品に出会うたび,毅然とした規律や習慣は,時に人を強固に支えるものと再確認させられる。身体だけでなく,心もだ。
67年前の小説とはにわかに信じがたい。
「色褪せない」という表現は,この作品のためにあるのだろう。
『村上春樹 雑文集』
誰もが知る作家,村上春樹氏が各所で寄稿した文書・演説原稿などを纏めた雑文集。
村上春樹の作品が昔から好きで,活字が恋しくなった時は,よくあてもなく本を開く。とても個人的にだが,「直接的なメッセージは記憶に残さずとも人の心に浸透し,読んだ人に影響を残す」の1点において,村上春樹の右にでるものはないと思っている。氏の長編小説の多くを読み,そうした印象を受けた。村上春樹好きの者を総じて「村上主義者」と言ったりするが,言いえて妙であると思う。なんとなくひっそり,けど確実に浸透してくる。そんなイメージにぴったりの表現だ。
ベストセラーとなった「ノルウェイの森」で村上春樹を知るようになったが,著作を読み漁るにつれ,この「ノルウェイの森」が最も異端な作品であったようにも感じた。最もリアリズムであり,直接的なメッセージに富んでいる作品でもあった(「色彩を持たない多崎つくると,彼の巡礼の年」もわりにそうした要素があったが)。
長編作品の多くは,ファンタジーと現実の境がいつもどこか曖昧で,一度はいるとなかなか抜け出すのに苦労するものばかりだ(やっぱり,「村上主義者」らしい)。いかにそうした世界観が,時に人生を豊かにしてくれるとはいえ,である。
そんな時に,氏が(比較的)現実の世界に焦点を当てて書かれた文章に目を通すと,どこか安心した気持ちになれる。虚構の世界を巧みに表現できる人だからこその安心感,とでもいうのだろうか。この雑文集は,そうした「現実への引き留め」を,引き留める意図は感じさせずに印象として力強く残してくれる。
生きていく中で何か迷いがあった時,直接の答えはくれないけれど,「なんだか,やっていけそうな気がする」という豊かな気持ちにさせてくれる,そんな一冊だ。牡蠣フライはいいぞ。
ここから村上春樹作品に嵌っていく人は(たぶん)そんなにいないだろうが,興味があればぜひとも。私のお気に入りは,イスラエルでの講演原稿でもある『「壁と卵」――エルサレム賞・受賞あいさつ』,P・オースターの作家性を論じた「バッハとオースターの効用」の2つ。
村上春樹作品で言えば,「海辺のカフカ」が一番のお気に入り。あんな図書館があったら,一生そこで過ごしたいものですよね。もちろん,大島さんと佐伯さん,そしてサンドイッチを忘れずに。
おわりに
今回の書籍紹介は,以上になります。
ご紹介させて頂いた書籍についてのご意見など,いつでもお待ちしております。また,本記事をお読みいただいた方々からも,おすすめの書籍があればぜひとも教えていただければと思います。雑食なので,わりと何でも読みます。合わせて,私のXアカウントまでご連絡ください。
それでは,よいマジック&ブックライフを。
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