坂井恵理「鏡の前で会いましょう」感想
今日も今日とて無駄な一日を過ごしてしまいそうになったので、前々から読みたかった漫画を読んだ。
坂井理恵先生作「鏡の前で会いましょう」
一巻から最終巻である三巻まで一気に読んだ。
買いに行く時間もなく、本屋も家からめちゃくちゃ遠いところにあるのでkindleにお世話になりました。
電子書籍反対派だった二年前が懐かしい。今は電子半分紙半分で読書をしている。小説や雑誌は紙がいいが、漫画は電子の方が黒がきれいだと個人的には思う。
「容姿」をテーマにしたとてもいい作品だった。
かわいらしい見た目のまなちゃんと、お世辞でもそうは言えないみょーここと明子。
明確にわたしは明子側の人間で(体質的に太りやすく骨太で顔もよくない)、明子の「かわいくなりたい」「かわいければすべてうまくいくはず」という劣等感に大変共感した。
けれど、まなちゃんの抱える母親への複雑な感情と、言いたいことがどうしても言えない抑圧もとてもわかってしまった。
「女」として生まれてしまって、「女」として生きるには、まだまだ現代は容姿が重要になってしまっていると思う。
もちろんそうではないし、中身が重要なのだともわかっているが、性格に多少難があっても美しさでコーティングしてしまえば結構な割合でうまくいってしまうのが現実だと思う。
自分に自信があって、誰よりも自分を愛せていたら、纏う空気が変わって容姿の悪さも気にならなくなるものだとわかっていても。
実際自分に自信がある人は美しい。その自信が表情にあらわれるし、振る舞いも変わる。
重要なのは容姿ではない。そんなこと、誰だってわかっている。
まなちゃんも明子も自分を愛せなかったから入れかわってしまって、客観的に自分を見ることで本当の自分自身と向き合ったのだろう。
人間はどうしても主観的な人間だから、二人のように強引に入れかわらなければ、真に客観視はできない。
最終的にお互いに自分を愛せたからよかった。
けれど、本当は二人とも自分のことを愛せていたのに、容姿や環境のせいでその気持ちに気づけなかったのだろう、と思った。
明子は自分の好きなインテリアやファッションを通して自分を良く見せることに長けていて、卑屈さがそれをもたらしていたのだとしても、それは明子にとって「こういう恰好の自分は許せる」という気持ちも伴っていたのだろう。
まなちゃんの頑固さも、母親に抑圧されていても、母親以外には支配されたくないと頑固になれていたのかもしれない。
ハッピーエンドは本来持っていた自分を認める気持ちを取り戻せたからだろうな、と感じた。
人間は本当に主観的な生き物だから、心底自分を嫌っている人間はいないはずだ。
そんな人は生きていられないだろう。
「容姿」の問題を主軸に様々なコンプレックスを解きほぐす、とてもいい作品だった。