ムラサキツユクサに変わるとき
今、平衡感覚を失っていて、強い眩暈を感じているんです。
心配しないで欲しいのは、病気になったんじゃないんです。
たぶん、何かが変わろうとしているときなんです。
感覚的な表現なのですが、何かが変わろうとしている時って、眩暈を感じるんじゃないかと思うんです。
新しい知識が流入し始め、少し古いスポンジの脳が、吸収するのに苦労しながらも、新鮮さにクラクラする感じは、その兆しです。
この眩暈の特徴は、物凄く淋しい気持ちを伴うんです。
新しい知識の理解と、それとともに出会った新しい人間関係に使われる時間。
それは、今まで培ってきたものと、あらゆる調整をしなければいけなくなる、ということなんです。
新しいものと今までのもの、全部続けるだけの体力と能力は、悲しいけれど私には無いんです。
だって、1日が24時間だということは変えられないし、私の体はひとつしかないから。
今まで培ってきたものとの調整って、結局は取捨選択をしていく、ということ。
私が今まで好きだったことや、モノや人との付き合いが遠のいたり、もしくは無くさなければいけなくなるということ。
どれを減らしてどれを無くすのか、丁度いいバランスが分からず平衡感覚を失い眩暈し、淋しさで悲しくなってしまう。
あまりの淋しさに立ち止まり、動けなくなって涙することも....。
上手く平衡が保てなければ、せっかくの新しい知識や人間関係は、単なる時間の浪費で終わり、調整した今まで培ってきたものも失い、すべて水の泡になってしまうのです。
梅雨の晴れ間の公園の片隅に咲くムラサキツユクサ。
こんなにたくさん蕾を付けて雨風の中で揺れても、上手くバランスを保って立っています。
きっとムラサキツユクサは、たくさんの蕾を保つため、いろんなものを吸収し、茎を太くしていく時間があったのでしょう。
私は今、風のような眩暈に心を揺らし、雨のような涙に濡れているけれど、バランスを掴み平衡感覚を取り戻どし、美しく咲くムラサキツユクサに変わっていくときなんだと信じたい。