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「介護と仕事の両立はなかなかむつかしい」新規就農への記録・その17

今日はちょっと
読み返したら重たい感じになってしまったので、
最初に我が家の猫の写真を(笑)。
我が家の澱みかける空気を、
程よくかき混ぜてくれてます(笑)。
ありがたい。

さて、前回は、地域のこし協力隊を辞めるところまで書きました。
介護と仕事の両立はむつかしい。
結局、ここに尽きるのかな、と。
まあ、私の場合、ばあちゃん二人と同居、という、
ちょっと変わったパターンですけど、
それにしても、「通院」とか、
体調崩しちゃうとか。
子育てと同じようにお世話が出てくる。
子育ての時もそうだったけど、
「医者に連れていくんで…」て、
朝とか職場に電話するの、
自分が気にし過ぎなのもありますが、
すごくきつかった…。

そして、認知症ということもあったんでしょうが、
というか、過去形ではないですけど(笑)、
毎日なんだか、これからどうなるんだろうなぁ…と、
自分の頭の中がいつもいつもいっぱいいっぱい。
というか、
余裕がなくてぐちゃぐちゃ。
福祉サービスもどんどん使うものが増えていって、
同居って、いったいなんなんだ?的な、
息子として申し訳ないなぁ…という気持ちに、どうしてもいろいろなってしまいましたね…。
サービスは使えるものは使って、とよく言うけど、
それと比例して、かわいそう、という感情が湧き上がってくる。
自分からも、家族からも、
そして周囲からも。

正解はないと思うんで、あんまり深く考えちゃダメだとは思うけど、
…難しいなぁ。
すみません、ちょっと重たいですね。
あと少しだけ、続きます。


子育て休暇とかって今となれば、制度として随分整ってきた感じですが、
20年前とかはまだそんなに普及してなくて。
介護については、今も制度はあるんだけれど、
今働いている人の多くがこれから体験することでもあるし、
あんまり世の中的にリアリティがないのかもしれません。

もう10年、20年したら、
今の50代以上の人が次々後期高齢者になり、
少ない若者人口がそのまま少ない40,50代になって、
絶対社会問題化すると思う。
でもその頃、福祉サービスの「担い手」はいるのだろうか…。
預けるに預けられないとか、
そういう状況が出てきやしないか。
その頃、福祉の仕事が、魅力的で、
仕事に見合った報酬が得れれている時代でありますように…。

あ、なんか、新規就農への記録なのに、
話題がずれてる気もしますが、
自分の中ではずれてないというか、
今の生活の中で大きな問題で、
このことと向き合わないと、
農業も畑も言ってられないため、
あえて書いています。
特に、40代、50代から新規就農をする人は、
どこかの場面で直面すると思うので。

で、考えたわけです。
自分にとって今、介護もそうだけど、
何が辛いのか。
仕事の中身なのか。
休み辛い、とか、組織の中で働くことの大変さ、なのか。
これ!というのはなかなかむつかしい。
でも、介護が浮き彫りにさせてくれた気もします。
結局、
組織の中で働くことが苦手なだけなんじゃないか。
ここまで、34年間、組織の中で、会社員としてやってきたけど、
…向いてなかったのかも。

はい。自分なりの結論です。
人と接する仕事が苦手…で、
よくここまで教員とかやってこれたものです。
どれだけ周りにフォローしてもらってたかということですね。
じゃなきゃ、続けられなかったと思います。
自分は、同僚や保護者に本当に恵まれていました。
そして協力隊でも、
げんき農場の方々にはたくさん助けてもらいましたし…。
それこそ年配で、みなさん自分の親の介護を経験してきた方ばかりだから、
大丈夫大丈夫と、
いつも愚痴をこぼすと励ましてくださいました。
もう、感謝しかないです…。

最近、
世の中的に言語化されましたが(笑)、
「コミュ障」とか「根暗」「陰キャ」とか、
自分もそういうところが昔からあるなあ、と(笑)。
上手いこと言うなあ、と思ってみてました。
「ああ、おれのことだ(笑)」と。

自分はきっと、周りからおしゃべり好きで、
楽しそうな人とか思われているようですが、
実際は…はい。
1人で本読んでたりするのが好きだったり、
ライブや映画も、全然1人で行くし、
集合写真はいつも端っこで、
幼稚園の頃はなんなら休みがちだったこともあり、
お休みの人コーナーで角に個別の写真で載ってることが多い(笑)。
仕事柄、元気に見えてただけだと。
そういう人間です。

…だめだ、ネガティブしかない(笑)。
要するに、人と合わせることがむつかしい人は、生き辛い。
そういうことを言いたかったんです(笑)。
そこで、ある日思ったんですよね。
自分のやりたい農業。そのスタイルについて。
自分の居場所、ここならあるかも、と思えたんです。

仕事として8時~17時、びっちりやるからきついのであって、
自分のペースでやれれば、もう少し気持ちが楽になるんじゃないか。
その分収入は少なくなるかもしれないけど、
「たくさん作ってたくさん売る」ことで今の農業は成り立っている部分があるけど、
もちろん、それも必要だけど、
もうちょっと、働き方をオーダーメイドできないかなあ、と。

本来、「農家」とは辞書を見ると、
「農業(農耕)によって生計を立てている人、
あるいはその家庭・共同体のことである。」
と書いてある。
良し悪しはともかく、
小作農、自作農と、歴史を見ても、
農家は家庭という、小さな単位であったわけで。
収益性を上げることを目指す中で、
法人化したり、組合化してきた歴史がある。
確かに、大きな収入を上げることは難しい職業になっているけれど、
ひとつの生き方として、職業としての農業を捉えてみてもいい気がします。
言うなれば…、それが個人事業主、ってやつかな、と。

じゃあ、それを、自分でやってみよう。
そうすれば、介護も少し気持ちが楽になるんじゃないか。
仕事の年休を気にせず、向き合えるんじゃないか。
そして自分自身、大げさだけど、
生きていくのが楽になるんじゃないか。

これって、自分がもう、50代後半だから思えることかもしれない。
20代でやろうとしたら、今の社会の枠組みの中じゃきついのかも。
今年30になる息子も、今の仕事辞めて農業やる、とは言わないだろうし、
ましてや自分が30歳の時、そういうことを考えたことすらなかった。
「仕事=会社」でした。

でも、一つの生き方として、
可能性がないかな。
できることなら、
「自分もちょっとやってみたいな」と思ってもらえる、
そんな農業との関わり方を見つけられたらいいな。
そんな小さな道を作ってみたい。
そうだ、高村光太郎さんも言ってた。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」って。

まあ、ゆっくりやり方考えてみます。
まずは、生き方を、猫たちに見習って。

しかし、猫って、ほんと自由だ…



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