見出し画像

自己紹介【はじめてのnote】 元・中学校教師うちのコは浪人生と不登校と女王様


はじめまして、はたかあ と申します

こんばんは。
関東地方に住む「はたかあ」と申します。
20数年間、公立中学校の理科教師をしていました。
色々理由があって数年前に辞めました。(体調不良や素行不良などのトラブルが原因ではありません。)
なぜ辞めたのかは、おいおいnoteにも書いていくつもりです。

家族は、愛する旦那と、かわいい子どもが3人とミックス犬が1匹。
旦那は大学時代からの古い付き合いで、今は自分で事業を立ち上げて頑張っており、私も少しだけお手伝いしています。

長男は浪人生で、先日共通テストを受けたばかり。昨年も今年も国公立が第一志望ですが、どうなることやら。

次男は中学3年生でこちらも受験生ですが、2年生の夏頃から不登校。
サポート校の合格はもらって、今後公立高校も受験予定。
教室には全然行ってませんが、毎日給食を食べに学校には登校してます。
だから体は健康。えらいね。

3人目は中1女子。趣味は化粧と部活。リビングの隣りにある和室をねぐらとし、朝は「お餅焼いておいて!!!」という怒号が飛んできます。兄や父をアゴで使うのは当たり前。でも可愛いから甘やかされてるよね。

私は、教員を辞めたあとは念願の専業主婦をするつもりでしたが、御縁があって近所の公立学校でサポーターのような仕事をしています。
50代に入ったばかりで更年期真っ盛り。時々、心も体も沈んだり、急に肩こりがひどくなったり、ホルモンに翻弄されてますわ。

そんな私がnoteを始めたわけ

そんな私がなぜnoteを書き始めたのか。
学校の教員という仕事の大変さや素晴らしさや面白さやブラックさを身を持って知り、なおかつ保護者として学校を外から見て、そして今はサポーターとして別の立場から学校現場を見ていて、気づくことがたくさんあります。

教員がブラックだと世間にバレてしまって、結構時間が経ちました。
待遇はかなり良くなっていると思います。
でも、教員志望者は減る一方だし、休んでしまう先生、辞める先生がたくさんいます。
情熱も専門知識も何も無い私が20年以上教員をやってきたのに、なぜ優秀な若者が教員を続けられないのか・・・。
私の経験、何か役にたてないかしらん。
いや、役に立たなくてもいいから発信してみよう!

自分の子どもたちも、すんなり育っているわけではありません。
教師として他人の子どもに対応するスキルは身につけても、自分の子どもは全然、別。
教師だったから、なおさら難しいのかもしれないと悩んでいます。

noteを書き続けることができたら、教師の皆さんや、不登校の子どもをもつ家族の皆さんが自由にお話できるサークルを作れたらいいな、と思っています。
どこまで続けられるか不安だけど。

印象に残った生徒 「ぼくだって普通でいたい。」

教員時代、たくさんの生徒さんに出会い、一人ひとり思い出があるし、印象に残っている生徒さんはたくさんいるのですが、その中でも私の教員生活や自分の人生に大きな影響を与えてくれた生徒さんとのエピソードをお話します。

副担任をしていたクラスのある生徒。外国にルーツをもつ男の子でしたが日本語は上手で、おとなし目だけど友達もいるし部活も頑張っていました。
それが、3年生になって少しずつ不登校に。
副担任の私は別室に来る彼の対応をし、一緒に勉強したりしていました。

教室には入れないまま卒業式が近づき、毎日のように体育館で卒業式の練習が行われている頃、私は彼と一緒にこっそり体育館の後ろから練習を見学していました。
学校に来ることに前向きになっていたし、もう少しプッシュしたら彼も卒業式に参加できるかも、と思った私は彼に
「卒業式、みんなと普通に参加したら?できるんじゃない?」
と声をかけました。
そうしたら、彼はとても辛そうな切なそうな顔をして
「ぼくだって、普通に参加したいです。普通でいたいです。それができないから辛いんです。」
と言ったのです。
その時、そんなことを彼に言わせてしまった申し訳なさと、彼の辛い気持ちを感じて涙があふれました。何も言うことができず、謝るのが精一杯で涙が止まらない私を見て彼は
「そんな、ぼくのことで泣かないでください。」
と言いながら、彼も一緒に泣いていました。

結局、彼は卒業式には参加できませんでしたが、別室で立派に卒業証書をもらい卒業していきました。

数年後、彼と会ったとき、お互いこの時のことをよく覚えていて
「ぼくのために泣いてくれる先生がいて嬉しかった。」
と言ってくれたんですよね。また泣いちゃいました。
このときに分かったのですが、彼はジェンダーギャップも抱えていて、中学生時代は自分のアイデンティティを探す、つらい時期だったのかもしれません。
でも、久しぶりに会った彼は自分を持っている素敵な人になってました。

学校でも社会でも「普通」でいることが一番ラクで、便利で、人生うまくいくのかもしれません。な~んにも考えないで、ただ「普通」に過ごすの。
でもその「普通」にどうしても合わない人がいるし、「普通」でいられないだけで辛い社会なんだ、ということを、彼を通して学ばせてもらいました。

この学びは、その後いろいろな生徒さんとの出会いでもずっと心の根底にあったし、次男が不登校になったときにも心の支えになりました。
「普通」でいることの辛さ、「普通」でいられないことのプレッシャー。
個性、個性言っていても、結局「普通」が一番の世の中。
でも「普通」じゃなくてもいいよ、大丈夫、幸せに生きていけるよって伝えられる教員に、親に、大人になりたいな〜、とずっと思っていました。

教員は辞めたので直接生徒さんたちにそれを伝えることはできないけれど、これを読んだ方の心に何か残れば…とっても嬉しいです。

こんな感じで、つらつらと書きたいことを書いていくつもりです。
もし興味持っていただきましたら、「スキ」「フォロー」お願いいたします。

どうぞよろしくお願いします。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集