流されるという選択

思えば、選択の少ない人生だ。
義務教育のあとはなんとなく高校受験をして、そのままエスカレーターで大学に行って、流されるままたくさんエントリーシート送って採用されたところに就職して、勤務地は大阪って言われたら引っ越して不満垂れながら働いて。30年間そんな感じで生きてきた。

選択はあまり好きじゃない。
それで何かあったら、自分のせいになるから。選ばなければ、悔やむこともないから。

唯一自分で選んだのは、結婚相手かもしれない。ネットの海に流れるプロフィールから、この人?って選んだ相手と結婚した。結婚するまでは、相手が遠くに引っ越してしまったり、突然仕事を辞めてしまったり、周りからはあまり勧められなかったお相手。
もしかしたら後悔するかもしれない。もしかしたら選ばなかったことにするかもしれない。それでもわたしはその人を家族に選んだ。
理由ははっきりまとまらない。赤い糸とか運命とか、そんなロマンチックなものでないことだけは確かだ。だけれど、後悔してもいいかなとなぜか思えた。それが大きな理由かもしれない。

その結婚相手を選んでも、選ばなくても、もしかしたらわたしの人生はそんなに変わっていないようにも思う。そして、選んだことにも明確な理由がないということは、それすら流された結果なのかもしれないと思う。

結局、わたしにとって選択とは、流されることなのかもしれない。
流されることを選んだわたし。それも立派な選択だと、胸を張って言えるように、この先の人生が、幸せだと言える日々を積み重ねていきたい。
それも、わたしが選択したから仕方ないなって、後悔してもいいやって、言えるように。

#あの選択をしたから

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