忖度社会に思うこと。

忖度…[名](スル)他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手配慮すること。
(出典:デジタル大辞泉(小学館))

日本は忖度社会だと言われる。
モリカケ、ジャニーズ、忖度が悪を生んだ、無くしていかなくてはと、しきりに騒がれている。

しかし「他人のこころをおしはかる。それによって配慮する」自体にはネガティブな意味合いはない。近年(主に流行語大賞を受賞した2017年から?)、政治に絡んだ文脈から、悪い言葉というイメージになった。

確かに、そういった悪い忖度は政治の世界だけではない。実際、私自身も経験したのは、相対評価で出される業績評価について、不本意ながら評価を下げられた時だ。
上司「俺はAの評価(最高評価)だと思ってるんだけど。。今回〇〇の昇格がかかっているから、今回はごめん。。」
上司はすごく申し訳なさそうで、しかも評価は上司のさらに上の立場の人たちが付けると知っていたから、何も言わなかった。そして、それも含めて実力不足だから、何があっても評価される結果を出さなければと内省もした。

それはそうとして。
忖度が悪いのは、おしはかる、配慮することではない。それによって行動した内容だ。上位者の悪を見て見ぬふりをする、犯罪とわかっていて指摘しない、他の人の不利益になってもその人の利益になることを優先する。こういった内容自体が悪なのである。
良い/悪いの基準は「忖度」ではなく、犯罪かどうか、法的、道徳的にどうか、だけだ。
もちろんその要因として、過剰な配慮、配慮が必要と迫られる力関係(上下関係)があるのであれば、そこを正そうとするのは良いことだと思う。しかし、結果、やってしまった行動の悪を見つめなければ本質的な解決にはならない。

他者の気持ちをおしはかれる、慮れる、それ自体は大切なことだと思う。それこそは、日本人の文化的美徳でもある。
だからこそ、本質はどこなのか、何を罰するべきなのか、しっかり皆が考える必要がある。忖度という曖昧な言葉にごまかされず、物事の根本的問題を明らかにし、今後の解決に向けた対策をとること。それはどんな社会的な、そして個人的な問題にも大切なことだと感じる。

まずは私自身も、どこかおかしいと思ってもこれまでそうだったから、とごまかし正していない悪がないか、誰かの利益のために他の誰かの不利益になることをしていないか、そういう方向での「忖度」=他者への慮りを進めていきたい。

参照:スポニチアネックス:安住紳一郎 ジャニーズ問題でメディアの沈黙を反省「私含めてことの重大さを分かっていなかった」(https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/09/09/kiji/20230909s00041000654000c.html)

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