ミニコンポがやってきた
ニュースで音響機器メーカーのオンキヨーが自己破産したと報じた。
負債総額は31億円だそう、数年に渡り事業の不振が続いてたようで、高品質な音響機器は最近では身近なものでなくなったなと、なんだか時代の流れを感じてしまったんです。
時代を感じるという話の流れで、中学生の頃にミニコンポが我が家にやってきたのを思い出しました。
まだカセットテープで音楽を聴くことが主流だったあの頃、オンキヨーの製品ではなかったものの、当時ミニコンポ持ってる子なんて少なくて、これからそれで音楽聞けるんだという妙な高揚感は確かにあった。
始まりはダブルラジカセ
中学生になって初めて手にした音響機器ダブルラジカセ。
カセットデッキが2つ横に並んだヤツ、テープからテープへとダビングもできる優れもの、デザインもおしゃれなお気に入りだった。
どこのメーカーだったか、色合いどんなだったか、まったく覚えちゃいないけど、BOØWYがブレイクするちょっとだけ前の話です。
父親がミニコンポを注文してきた!
青天の霹靂やった。
「ミニコンポ買ったよ」
別に欲しいなんて一言もいってないし、考えたこともないミニコンポなんて、愛用のダブルラジカセで満足してたから。
父親が近所の電気量販店から持って帰ってきたパンフレットを広げて指差し、
「これにするから」
パンフレットとはいえ、初めて見るミニコンポは、なんとも重厚感があり大層な代物なんだと子供でもわかった。そして驚くほど値段が高い。
両脇に大きなスピーカー、ダブルカセットデッキに当時としては珍しいCDプレーヤー、デジタルイコライザーで、極めつけがレコードプレーヤーを装備してるというミニコンポだったのです。
子供のためなのか、自己満足なのかは定かではないが、裕福な家庭でもなかったはずなのに、あまりにも突然で大きすぎる出費をしでかした父親に、母親の怒り心頭の表情を見て、なんてモン買ってきやがったんだと、子どもながらに思うしかなかった。
20歳くらいまでお世話になったミニコンポ
母親の怒りを買ってしまったミニコンポは、その後成人するまでの長い付き合いとなった。
それこそBOØWYもよく聴いたし、当時のバンドブームにあわせ、ミニコンポの活躍は目覚ましいものがありました。
時が流れるにつれ、カセットデッキが片方不調をきたしたり、レコードプレーヤーを使わなくなったり、CDプレーヤーの音が途中でとんだり、それでも最後まで必死に音を出し続けてくれたミニコンポ。
なんだか懐かしい。