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二世帯同居

実の親、義理の親、どちらにしても二世帯同居することは難しいと思います。

同居と言っても完全に同じ住居内なのか、もしくは同じ建屋でも中で仕切られていて玄関が違う、同じ敷地内でそれぞれ住居を構えてるなど生活様式は様々。

しかし、どんな生活様式だろうと、二世帯同居することに大きな責任が伴うということを最近強く感じるのです。

現在、義理の親と同じ建屋内で同居していますが、気がつけば十数年が経過していました。

義理の親

同居を言い出したのは僕自身なのに、最初の頃はやっぱり気を使う。

里帰りして久しぶりに話すのと、毎日顔を付き合わせて生活するのとは比較にならない「普通に生活すればいいやん」そうは思ってても、一挙手一投足が目につくし、変に身構えたりもした。

夫婦だって最初は戸惑うことありますよね、生活習慣も価値観も違う二人が一緒に暮らしていく訳だから、義理の親なら尚更です。

しかし同居を始めた頃と現在では違います。

義理の親でも十数年一緒に暮らしていれば全てが日常で、気を使い過ぎるなんてことも無くなったし、程よい距離感とお互いに持ちつ持たれつの関係性、二世帯同居なんて言葉自体に深く考えることも無くなっていた。

当時は子ども達も幼かった、当然僕らも若かったし、何より義理の親も元気だった


ある年に義理の親が大病を患いました。

誰でも年老いていけば身体は次第に衰えていくもの、中には何歳になっても元気な方もいらっしゃいますけど。

病気が発覚してから治療を重ねて現在、すっかりと痩せ細り出歩くことさえ難しくなって、元気だった頃の面影は無くなってしまいました。

こんな状況になると、今更ながらやってあげられることもっとあったんじゃないか、元気だった頃に行きたいとこ連れてってあければよかったなんて思うわけです。

もしも同居していなければ、ここまで考えることなかったかもしれません。

それこそ同居することの大きな責任を伴うのだと。

実際に僕自身も、実の親と同居してくれてる兄弟夫婦には甘えてると感じます。

言葉では、何でも相談してほしいなんて言ってみても、一緒に住んでる者にしか理解できないことのほうが多いでしょう。

僕らの世代的に、周辺でも親の介護が必要になってきた、そんな話をよく聞くようになりました。

何処も大変そうです。

子が親を看るというのは、その状況に置かれている人にしか大変さを理解するのは難しいと思います。

僕ら夫婦にとっても親が弱っていく姿、数年前には想像もしなかったように思う、いつかはそんな日も来るだろうと話はするものの、どこか他人事のようでもありました。

それが今まさに弱っていく姿を見ていると、実の親だろうと義理の親だろうと、少なくとも悔いが残るようなことはしない、できることやるべきことは可能な限りしてあげようとは思うのです。




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