私の好きなもの3~マスターオブゼロ~
現代社会に生きるマイノリティの苦悩を描くことによって、多様性が叫ばれる世の中に議論の場を生み出している————
批評家たちが大絶賛するNETFLIXオリジナルシリーズ「MASTER OF NONE(マスターオブゼロ)」。テレビ界のアカデミー賞とも呼ばれるエミー賞を2016年に受賞している本作品をいま掘り返して批評するのは野暮かもしれないが、シーズン3が始まったのを言い訳に自分なりの評価を届けたいと思う。
「マスターオブゼロ」とは?
第1シーズンは、映画批評集積サイトのRotten Tomatoesに64件のレビューがあり、批評家支持率は100%、平均点は10点満点で9.03点となっている。(Wikipediaから引用)
一体なぜここまで評価されているのか。この作品がなぜ人々をここまで惹きつけるのか。
脚本から主演まで担うAziz Ansari(アジズ アンサリ)。アメリカ出身(サウスカロライナ州)。移民としてインドからアメリカに移ったインド人の両親を持つ。
本作品は、アメリカ系インド人がNYで暮らす日常を切り取ったもの。Aziz自身の現代社会に生きるマイノリティとしての苦悩の経験を本作品に乗せて、コメディの視点から届けている。
うだつの上がらない俳優としてキャリアに悩んだりやTinderで恋人を探してデートをしたり。
また主人公の周りにも、黒人でレズビアンのデニースや、中国系アメリカ人のブライアンなどのマイノリティも登場し、それぞれの角度から社会を覗くことができる。
人種のるつぼNYで暮らす日常から、マイノリティとしての苦悩が現実感をもちながらも、個性的なキャラクターでユニークに描かれている。
では、マイノリティを描く他の作品とは何が違うのか?
この作品では、確かに、ドラマとしてはストーリー性や感情の起伏には欠けるかもしれない。
ただ、何気ないマイノリティの日常から現代社会での愛、現代社会での仕事、現代社会での人間関係を考えるきっかけになるところこそが魅力なのではないかと感じる。
BARに集まってマイノリティ同士のあるある話をするシーンから、白人の恋人との衝突するシーン、レズビアンを親にカミングアウトするシーンまで。
生きていく上でぶつかる衝突をどう立ち向かうのか、等身大に描写される。
その現実的なシーンをあえて誇張せずに映し出すことで、現代社会の多様性についてより自分事として考えさせられるのではないかと感じる。
いざ自分がマイノリティとして生きることになったらどんな苦悩が待ち受けているのか。それを社会はどう判断するのか。その中で自分はどう決断して生きていくのか。
多様性についてのトピックを、一部のマイノリティに共感してもらうためだけでなく、コメディとして普遍的に届けていることが他の作品には、まねしてもまねできないところなのではないか。
それはなんといっても脚本から主演まで担っているAzizの実体験からくるものであり、その観察力の賜物であると思う。
多様性が叫ばれる現代社会に響く
現代になって、LGBTQや人種の多様性への理解が進んできている。より多様な人々を受け入れようという動きは素晴らしいと思う。
私たち日本人にとって、LGBTQや人種に対する理解は欧米ほど進んでいるとは言えない状況だ。自身も関心はあるが、そういう方と触れる機会もすくなく理解しきれないところも多い。
ただそういうマイノリティの方と交流する機会があるときに、失礼がないように理解したいという人は世界的にも増えていると思う。
そんな中でこの作品が、NETFLIXというフィルターを通して全世界に届けられている。
この作品は、現代社会に生きるマイノリティの苦悩を描くことによって、多様性が叫ばれる世の中に議論の場を生み出しているのではないか————
NYに暮らすマイノリティの俳優にスポットライトを当てることで、同時に全世界のマイノリティにもスポットライトが当たる。
そういう少数派の人たちの日常を何気なく、自然と描写することでその世界に入り込んでしまっている自分がいることに気づくだろう。
この作品は、2021年5月からシーズン3を配信し、まだ多様性が完全に受け入れられていない現代社会で生きることの論点を私たちに投げかけ続ける。