相変わらず白黒つけなきゃ気がすまないんだな、私という人間は。
子を産んで、親になって10年。
子を産んで「得たもの」は多い。数えきれないキラキラした思い出たち。
子を産んだ私は「わかっている」。子のいない人にはわかるまい。
そんな勘違いをしていたんです。つい最近まで。
子を産んで「わかっている」つもりの私が体験した「わかってない」話がコチラです。
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私のパート先に、赤ちゃん連れご家族の来客がありました。
接客したのは上司。
事務所にいたのは上司と私、Tさんの3人でした。
接客中、赤ちゃんのオムツから「大きいほう」のにおいが。
パパさんが赤ちゃんのオムツをのぞくと、案の定「大きいほう」が出ていると。しかもゆるいらしい、直ちに替えなくては!
あいにく事務所内にはオムツ替えスペースがありません。
上司の判断で、事務所の端っこでオムツ替えをしてもらいました。
・・・
接客終了後、お客さまが帰ったと同時に、Tさんがあわただしく動き始めました。
事務所の窓を全開、サーキュレーターをMAXに。
いきなりどうしたのか?と、私がTさんにたずねると、「オムツ替えのニオイが耐えられなかった」のだと。
「閉め切った部屋にオムツのニオイが充満して、もう辛くて辛くて……」とつぶやくTさん。
私はこの時、とても苦しそうなTさんを見て「わかってないなぁ」と思ってしまったんです。
Tさんに対して「わかってない」と思ってしまった私。
これは大きな勘違いですよね。
赤ちゃんとはいえ「大きいほう」はクサイ。部屋の中に「大きいほう」のニオイが充満したら、クサイし気持ち悪いと感じるのはもっともなのだ。
私だって、正直クサイと思った。
でも、におってないフリをした。平気なフリをした。
「わかっている」つもりだったから。
「わかっている」と思われたかったから。(誰に?)
赤ちゃんのオムツ替えのニオイをクサイと言うのは「わかっていない」人がすることだと、思って。
なんじゃそりゃ。
クサイものをクサイと反応できるTさんのほうが、私よりよっぽど「わかっている」。
ハァ。
以上、「わかっている」つもりの私が体験した「わかってない」話でした。
子がいる、子がいない
結婚している、結婚していない
働いている、働いていない
家を買っている、買っていない
学校に行っている、学校に行っていない
どっちかが正しくて、もういっぽうが正しくないなんて、あるわけがない。
子を産んだからといって「わかっている」なんて思った私は、なんておごっているのだろうか。
なんでもかんでも自分の価値観で白黒つけたがるのが、私の悪い癖だ。
「わかっている」「わかっていない」
相変わらず白黒つけなきゃ気がすまないんだな、私という人間は。
そんな私にあきれたのと同時に、「よく気づけたな、私」と感心もしたのでした。
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