アーユルベーダを学んだ理由
ヨガをずっと続けてきて、体と心の健康を手にしたし、その方法を知った。さらに瞑想を習慣化することにより、心の性質を知ることで生きやすくなったし、理想に変えていけるようになった。
毎日が少しずつ変わってきた頃。
子供が産まれて、自分以外の大切で、しかもその人は私が選んだものしか食べられないから、責任重大!!という状況になった。
私は「食事」については、そこまで気にしていない。食べたいときに食べたいだけ食べてきたし、食事に対してそこまで興味がなかった。時間がないときは短時間で済ませれるものにし、そこでできた時間を他のやりたいことに使っていた。私にとって食事は”そこまで重要ではない”というものだった。
もちろん美味しい食事を食べたいし、体に良い食事は体も心も軽くすることを知っているが、誰と食べるか、どんな環境で食べるか、どんなマインドで食べるかの方を重要視していた。
例えば、緑を見ながら、外で食べる食事は何を食べても美味しいし、山登りをして頂上で食べるカップラーメンは最高だし、気の会う仲間と一緒だったら食事はなんでも良くってなんでも楽しい。
ただ親になったらそうもいかず、子供にカップラーメンは食べさせたくないし、体に良いものを食べさせてあげたい親心。何が体にいいのか?何を食べればいいのか、選べばいいのか、調べるようになった。
昆布や鰹で出汁をとり、とにかく柔らかく煮た野菜とお粥、味付けは出汁のみ、もしくは少しのお塩。いつも多く作りすぎるので私もそれを食べる。そしたらなんだか体調が良い感じになった!笑
体が軽い、朝の目覚めがいい、これはそうなるとわかっていたけれど、なんだか調子が良い。それも体も心も。ゆったりとした感覚、優しい感情。食べ物ってマインドや感情とも大きく繋がっているんだと体験した。
その体験を通して、真の健康は、ヨガ(体が動く)、マインドフルネス(心の動きを知る)、だけでなく食事にもあると思った。
そして食事を大切に扱うことが大切だと知った。
産後の食事は、時間もバラバラ、早食いになるし。次いつ食べれるかわからないから、常に何か食べているか、全く食べないかが極端。キッチンで立って食べることも多い。出来立て温かいものは食べれないし、子供を食べ終わらすまで自分は食べれない。
→当たり前だよねこれって。みんなやっていることだから。と片ずけてしまい暮らしていたが、これが3ヶ月〜そして、1年以上、毎日3食続くと結構ヤバイ…
自分を大切にしたいけど、できていないストレスが一番大きかった〜。ゆっくり食事を楽しみたいな〜と切実に思う。
食事を大切にできていない日が続くと体にも心にもガタがくるんだと身をもって知った。
そして産後はサプリも飲めない、病気をしても薬も飲めない(授乳中のため)となると、食事が唯一のサプリ・薬になる。
アーユルベーダは生命の科学
【食べることは生きること。】
生きるために食べるのではなく、食べる=生きるそのもの。(一緒のことのようでちょと違うが伝われ!)
食べたもので私たちの体はできていて、質や量、自分自身の消化力を使って初めて食べる=生きることになる。さらに体に未消化物を残さないように、または残っていても出す力、自然の治癒力も食べたものによって作られる。そして、マインドとも深く繋がっていて、体とも深く繋がっている。
食べること最高に重要だ!と書かれてある、哲学書のように感じる。
アーユルベーダでは食事を「エネルギー」として捉え、「栄養素」としては見ないところが、今と大きく違うところかと思う。例えば、お母さんが作ってくれた食事。できたてを食べる。たとえ栄養素がサプリやプロテインバーの方があったとしてもエネルギーで見るとお母さんのご飯の方が明らかに最高だというところをアーユルベーダではいっている。
新鮮な素材を使い、あまり手の加えない調理法で少しのスパイス、素材の力(エネルギー)を頂くこと、そしてそこには自分に合ったものを選ぶこと、体調に合わせて選ぶこと、体の機能を最大限にナチュラルな状態、調和の状態へ導くこと。
このような思想が私は好きだと思ったから、アーユルベーダ学ぼうと思った。
一生物の知恵と言われているアーユルベーダ。
食べるという概念をここで見直すきっかけになった。
次回へ続きます〜
TOMOMI