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自己肯定からしか自分は変えられない。
なぜ、上の子だけを怒ってしまうのか。
友だちや先生からは、「ほんといい子ですね」と言われる長女。
なのに、家では、ガミガミ怒られてしまう。
理由は、「母親であるわたしと似ている」からだ。
顔や性格が似ているのは、もちろんのこと、洋服の好みも似ている。
じゃあ、気が合いそうと思うのだが、その反対なのだ。
どうも、自分のいやなところが、彼女に投影されて、見えてしまう。
彼女はピアノを習っているのだが、なかなか練習しようとしない。
何度声をかけても、やろうとしない。
その理由は、「練習しても弾けない自分を見るのがいや」なのだ。
とても繊細な性格で、できない自分を受け止められないところがある。
(人間なら、だれでもそうなのかもしれないけど。)
だから、少し練習しては、メトロノーム代わりに使っているスマホをながめる。そして、また「集中できていない」と、わたしに怒られる。その繰り返しである。
この集中力のないところ、できない自分を受け止められないところは、わたしにそっくりだ。まるで自分のできていないところを見ているようで、また怒ってしまう。
これでは、彼女のピアノへのやる気が起きるはずもない。
まずは、うまく弾けなくても、練習しようとピアノの前に座っただけでもほめてあげることから始めよう。できないことに向き合おうとしただけでも、本人からすれば、かなり頑張っているのだから。
習い事について相談を受けるとき、「本人がしたくないことを無理やりさせるのだけはやめた方がいい」と答えている。
勉強でもスポーツでも、誰かから「やらせれている」ことから学ぶことはあまり多くない。子どもからすれば、やりたくないことをやらされているのに、親に怒られる。そんなことでは、勉強や習い事を好きになれるはずがない。
そう答えているにも関わらず、我が子にはどうなのだろうか。
「ピアノやめてもいいよ」というと、返事をしない。
彼女の中では、弾けるようになりたい気持ちと弾けない自分との葛藤があるようだ。
弾けるようになりたいのに、弾けない自分がつらくて、練習しない。
練習しないと弾けるようにならないことはわかっているのに、練習しない。
自分もそうだった。
手に取るように、彼女の気持ちがよくわかる。
なのに、彼女にだけ怒ってしまうのだ。
まずは、怒ってしまう自分を受け止めることから始めてみよう。
そして、ピアノの前に座れた彼女をうんとほめてあげよう。
自己肯定からしか、自分は変えられない。