人に優しくされたとき、自分の小ささを知りました
平成生まれ、アラサーの私は、もちろんモンパチ世代である。
学生時代、何度も聞いたしカラオケでもよく歌った。
あの時も、「いいな」と思って聴いていたはずだが、
今この年齢になって聴くと、また少し違って聴こえてグッとくる。
―—最近お疲れっぽい?お仕事でお悩みかな。
日々疲れるよね。(Twitter見て心配してます)
久しぶりに、大学時代の先輩からこんなLINEが届いた。
メッセージにはスタバのLINEギフトが添えられていた。
学生時代、某遊べる本屋でバイトしていたのだが、
そこは時給が、引くほど安かった(確か当時の最低賃金だったと思う)。
それなのに毎回、休憩時間はリッチにスタバでフードとドリンクをかましていたので、先輩から「余裕で、時給消費してるやん!」とツッコまれたときは、思わず笑ってしまった。確かに。コスパの悪さたるや。
だから、メッセージと一緒にスタバのLINEギフトを送ってくれたのは、
すごく先輩らしいな、と思った。
歳を重ねるごとに、生きづらくなっている。
それは紛れもない事実で、自分自身よく分かっている。
世の中が変わり、周りが変わった。
そして、自分自身も変化していく。
変化を受け入れることは、苦しいから苦手だ。
でも、他の、外の、変化を受け入れて、
自分の、内の、変化を受け入れないと、
きっと生きていけないんだろうなあ、と感覚的に感じている。
だからかな、ものすごく卑屈になる日がある。
そんな日は、風に揺れる道端のタンポポにも嫉妬してしまいそうになる。
―—呑気でいいよな。くそ、と。
言いがかりにも、ほどがある。
自分の暗い闇の部分に、堕ちていきそうになるとき、
”信じられる人”の存在は、すごく心強い。
メッセージをくれた先輩には、パンデミック以来しばらく会えていない。
そう遠くないうちに、会いたいなと思う。