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三体感想記:この宇宙にロマンは残っているのか

この広大な宇宙に、私たちの他にも生命体が存在しないはずがない。
そして、その中には高度に知能を発達させた文明も存在するはずである。

しかし、そうであればなぜ私たちは彼らと出会っていないのだろうか。
出会うどころか、その存在を確認しあうこともできていない。

ノーベル物理学賞を受賞したある科学者が発した、「もし宇宙人がいるのなら、いったいどこにいるのだろう」という疑問は、未だ解決されていない。この命題は科学者の名前をとり、フェルミのパラドックスと呼ばれている。

いや、未だ解決されていない、というのは間違いかもしれない。
宇宙人の存在が確認されるまでは立証できないものの、あるSF小説の中で提示された仮説が、今の所エンリコ・フェルミを最も納得させうるものになるだろう。

あるSF小説とは他でもない。
SF小説のノーベル賞とも言われるヒューゴー賞長編部門を、アジア圏作家では初めて受賞した『三体』である。

すでにハードカバーでは日本語訳も刊行されていたが、今年に入ってようやく文庫化され、2024年6月に三部作全ての文庫化が完了した。
本棚に限りのある私としては、待ち望んだ文庫化である。

ハードカバーが出てから相当の時間が経っているわけではあるが、同じように文庫版を待ち望んでいた人もたくさんいるはずなので、この投稿の中で詳しいことには触れない。

しかし、一人でも多くの人にこの傑作SF小説を読んでほしい。
これぞ王道である。皆が待ち望んだ、大きな物語が誕生したのだ。

人類の最も愚かな行いの一つである文化大革命から物語は始まる。

『ハリー・ポッター』の物語が、“プリベット通り四番地の住人ダーズリー夫妻は、「おかげさまで、私どもはどこからみてもまともな人間です」と言うのが自慢だった。”から始まるように、なんでここから?と最初は思う。

しかし、読み進めれば読み進めるほど、三部作の後半に差し掛かるほど、この大きな物語はそう始まる必然性があったのだと実感するのである。

詩人・谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』に、よく知られる一節がある。

万有引力とは ひき合う孤独の力である
(中略)
二十億光年の孤独に 僕は思わずくしゃみをした

谷川俊太郎『二十億光年の孤独』

多くの人が宇宙に感じるロマンは、どこかに私たちとこの孤独を分かち合える存在がいるのではないか、というものだと思う。

だからこそ、私たちは広い宇宙を覗き込み、一歩を踏み出し、手を取り合おうとする。そして、向こうも私たちと同じように考えているのだと、無邪気にも信じている。

この広い宇宙に、分かり合える存在はいないのだろうか。
いるとしたら、どうして呼びかけてくれないのか。

しかし、三体という物語を動かすのは、ロマンティックな希望ではない。
やがて大河に育つ最初の一滴を生み出すのは、人類への深い絶望だ。

もちろん、三体が提示する世界だけが正解ではないはずだ。
他の答えだって、まだ見つかっていないだけだと信じたい。

絶望から始まるこの物語が、どのような結末に至るのか。
ぜひ見届けてほしい。

あなたは、思わずくしゃみをするだろうか。

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