【#未来のためにできること】子どもの好きを支えられる大人になりたい
小学生の時、作文が好きで書くと必ず選ばれました。父母が1~2学年上を対象とした本を買い与えていたことが影響していたと思われます。
作文は楽しいのに悲鳴をあげて嫌がる友達を理解できなかったです。しかし、高学年になると私の意識が変わります。作文を喜んで書いていることが非常に恥ずかしくなったのです。
「作文、かったるいよね~」
友達に言われた私は、
「うん」
と頷きました。みんなと同じがいい、作文が選ばれることより選ばれない方がカッコいいと感じたのです。作文を馬鹿にするようになって私は選ばれなくなりました。その途端、私の文章力は落ちていきます。
高校に入り作文を書かされた時、まだ作文が得意だと思っていたため先生が他の子のものを選んだのにショックを受けました。作文に真剣に向き合わなくても文才があると思っていた私は文章への才能を馬鹿な思い込みで潰してしまったのです。それ以来、私は「書くこと」を楽しめない人生を送りました。
2021年、noteに出会い私は「書くこと」を楽しめるようになりました。noteでは「書くこと」を否定されなかったからです。noteを始める少し前からwebライターを内職程度に始めていましたが、マニュアル通りに書くので文章を楽しめない状態でした。noteを始めたおかげで仕事での「書くこと」も今は楽しめています。
もし、私が小学生の時に「書くこと」に情熱を失わなければ今頃、創作大賞の中間選考を突破していたかもしれない、たまにそう思います。「作文は嫌い」という大多数の意見に屈せず自らの意思を押し通していれば、今の私はどうなっていたでしょう。
様々な子どもが通う学校では比較が生まれがちです。相手が得意なことを否定することで自分が一番になろうとする子がいてもおかしくありません。それは向上心の表れで成長の過程では自然と起こるものなのです。
そんな時に大人が「好きなことは気兼ねなくしていい」とフォローできたら、思ってもみない才能が生まれる未来に繋がるかもしれません。
人の身体や心を傷つけないならば、子どもの好きなものは認めたいです。そのためには大人は心に余裕を持ち、熱中できる環境を整える必要があります。私は大人がゆとりを持てる環境を維持する力になる、読む人がなごめる文章を書きたいです。
小学生時代の作文が好きだった自分への贖罪を込めて書いていきたい、そう思い今日もnoteを投稿します。