幕末魔王伝 ~織田信長が新選組の厄介になるそうです~ ②

第2話信長、湯漬けを食らう

「総司の野郎、変な奴連れて来やがって! この忙しいときに!」
「まあ土方くん。そう目くじらを立てずともいいじゃないか」

 京の壬生村にある八木邸。
 壬生浪士組が間借りしている一角の廊下を歩いている二人の男。

 一人は物凄く怒っている。目つきがかなり悪く、端正な顔立ちではあるがどことなく危険な雰囲気を醸し出していた。
 もう一人は対照的に穏やかな顔つきで、知性のある賢そうな印象を受ける。隣の者とは異なり、今起きている状況に余裕がありそうだ。

「山南さん。鴻池と芹沢の一件も片付いていねえんだ。これ以上の揉め事は勘弁だぜ」
「しかしどうだろう土方くん。あの織田信長を自称している初老の男を放置するのは、些か問題がある」

 目つきの悪いほうは土方、穏やかなほうは山南という名のようだ。
 土方は「問題ってなんだよ」と足を止めて言う。
 件の男の部屋の前に来たからだ。

「我々は京の治安を守るのが務めだ。もし織田信長を吹聴する男を放置したら、仕事を全うしていないことになる」
「そりゃ理屈はそうだが……」
「だから沖田くんが屯所に連れてきたのは間違いではないよ」

 土方は「相変わらず、総司に甘いな」と山南に苦笑いした。

「ま、ともかくだ。その織田信長と話そうじゃねえか。近藤さんに知らせるのはその後だ」

 土方は山南に言って、彼が頷いたのを見て、襖を開けた。

「お、織田さま。湯漬けでごさいます……」
「うむ、大儀である!」

 襖を開けた先で土方たちが目にしたのは。
 壬生浪士組の隊士である井上源三郎が信長に湯漬けを振る舞っているところだった。

「ほう! なかなかの美味だ! 褒めて使わす!」
「あ、ありがとうございます……」

 気遣いの塊である井上を、まるで家臣のように使われていた。
 土方の額に青筋が浮かぶ。
 井上は彼の兄弟子であり、頼りになる最年長の男だ。

「源さんは料理上手ですから。きっと信長さんにも気に入ってもらえると思いました」

 笑顔で言っているのは沖田総司である。
 彼は信長の隣で同じく湯漬けを食べていた。
 土方が「この野郎!」と怒鳴る。

「てめえ、いい身分じゃねえか。殿様のつもりか?」
「いかにもそうだ」
「源さんも、なんでこんな奴に飯を振舞っているんだ!」

 土方の怒りに対し、井上は申し訳なさそうに「面目ない……」と謝った。

「……おぬしたちは何者ぞ?」
「あぁ? この――」

 傍若無人な物言いに土方が再び怒鳴ろうとするのを山南が「まあまあ土方くん」と制した。

「私は山南敬助といいます。こちらは土方歳三。以後お見知り置きを」
「であるか。見たところ、こやつらの頭のようだな」

 一目で土方と山南の立場を看破した信長。
 山南は冷静に「沖田くんから聞きましたか?」と確認する。

「いや。この若者、儂の知りたいことを知らんのだ」
「知りたいこととは?」
「せがれの信忠がどうなったのか。あやつが生きていれば織田家は安泰なのだが」

 山南は土方を見た。どうも嘘を言っているようには思えない。だとすればもの狂いか、演じているのだろう。まさかこの信長が本物だとは、流石の彼でも思えなかった。

「山南さん。説明してやれ」
「いいのだろうか? おそらくつらい思いをさせるが」
「知らないよりはマシだ」

 山南は土方から信長へと視線を写した。
 目が爛々と輝いている。
 正気でなければ出ない色だった。

「それでは、本能寺の後に起こった事柄を説明しましょう――」

◆◇◆◇

 信長は最後まで黙って聞いていた。
 信忠を始め、己の息子たちの最期や末路に口出しせず、沈黙を貫いた。
 話の途中で井上が「近藤先生の出迎えをしなければ」と中座したときも反応がなかった。

「――これが、後世に伝わっている顛末です」

 山南の語りは砂地に水を吸い込ませるように、信長に余すことなく伝わった。
 だからこそ、信長は――

「……うつけめが。奇妙丸。生き残れたではないか」

 悔しそうな表情で、短い感想を述べられた。
 理路整然とした口調でなければとても出やしなかった。

「……あなたが本物の織田信長である証はありますか?」

 山南が静かに問う。
 不思議なことだが、神妙な面持ちで聞いていた信長を見ていて、演じているとは思えなかった。そして正気ではないとも思えない。もしかすると本物ではないかと思ってしまう。

「山南さん。あんたまで本気にしてどうするんだよ」

 呆れている様子の土方。
 最初から彼は信長のことを信じていない。
 すると沖田が「私も信長さんが偽者だとは思えないです」とやけに真剣な顔で言う。

「お前まで何言ってんだよ。織田信長は本能寺で死んだんだ」
「しかし、遺体は残らなかったと伝わっています」
「山南さん! 本当にどうかしているぞ! 二百年以上前に死んだ野郎が、この時代に生き残っているわけがねえ!」

 常識的に考えれば土方の主張は真っ当である。
 いくら何でもありえないだろう。

「本物である証か。そのようなものはない。気が付いたら京の都の小道にいたのだ。持っていた短刀すらない」

 信長があっさりと言うと土方は「そら見ろ!」としたり顔をする。

「こいつは正気じゃねえんだ。分かったろ?」
「まあまて。儂をここに置く利がないわけではないぞ」

 信長はにやにや笑いながら土方に提案した。
 それを沖田と山南は黙ってみている。
 土方はなんでこいつら黙っているんだと思いつつ「利ってなんだよ」と巷の悪ガキのような口調で言う。

「今、おぬしらは内輪揉め……いや、派閥争いをしているな?」
「……総司ぃ! てめえ喋ったろ!」
「ええ!? なんで分かったんですか!?」

 土方は「源さんが喋るわけねえだろ!」と吼えた。
 山南は肩を竦めた。これでは庇えない。

「だ、だって。信長さんがあれこれ訊いてくるんですもの」
「部外者に身内の話を漏らすな!」
「土方とやら。まずは落ち着け。その派閥争いを儂がどうにかしてやろうと言っておるのだ」

 信長のあっけらかんとした物言いに興味が出たのか「どのような策をお持ちですか?」と山南が訊ねる。

「派閥があるのなら取り込むか壊すしかあるまい」
「当たり前じゃねえか」
「儂が円滑に――壊してやろうと言っているのだ」

 信長は実にあくどい笑みを見せた。
 土方はゾッとしながらも「どうやって?」と平静を保った。

「それはまだ言えぬが……まずは局長である新見錦を『どうにか』する」

 土方は沖田を睨んだ。
 いくら何でも詳しく話し過ぎだと。
 しかし沖田は首を横に振った。

「そ、そこまで言ってません!」
「なんだと? てめえ、どういうことだ?」
「何度か厠に行ったときに、耳に入ったのだ」

 山南は油断なく「人間関係を既に把握しているんですね」とやや断定的に言う。
 信長は「ふひひひ。そうだ」と答える。

「おぬしら試衛館派と芹沢たちの水戸派に分かれている。その程度は小耳に挟んでいる。永倉と原田とやらに言っておけ。あまり大声で話すなと」
「……あの馬鹿ども」
「それから、おぬしら二人は副長だったな。そして副長助勤が数名……試衛館派が数では勝っているが、いくら何でも隊士の数が少ないだろう」

 信長は三人に言い聞かせるように言った。

「数の優位で押し進めれば、芹沢だろうが圧力をかけられる。金を使ってでも人数を増やせ。そうだな……五十人は欲しいところだ」
「はっ。そうは言っても金なんてねえよ」

 土方の皮肉に「そんなものいくらでも手に入る」と信長は断言した。
 口元を歪ませている――笑っているのだ。

「芹沢一派が商人どもを強請って集めているんだろう? そいつを利用しない手はない」
「……それは、あまりにも非道ではありませんか?」

 山南も考えなかったわけではない。
 しかし敵対しているとはいえ、同じ壬生浪士組である彼らを利用するのは、いくら何でも――

「何故だ? いずれ葬るつもりなんだろう? ならば利用できるだけ利用し、要らなくなれば斬り捨てれば良い」

 これには三人とも絶句してしまった。
 あまりに苛烈な意見だったからだ。

「それと、頼みがある」
「……聞くだけ聞いてやる」

 土方のぶっきらぼうな返しに、信長は余裕をもって受ける。

「近藤勇に会わせろ。おぬしらの頭であるそやつが、何を考えているのか、知りたい」

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