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9/28(土)開催『うたと語りの世界』

このライヴを企画しようと思ったきっかけは
ある時、スティーヴ エトウさんから
スティーヴさんのお父様「衛藤公雄」さんの
ことを聞いた時からだった。

私は衛藤公雄さんという箏曲家
(邦楽の箏【こと】の演奏家)のことは、
それまで全く知らず、
お父様とお母様が日本人で
ミックスとかででもない
スティーヴさんがアメリカ生まれで
アメリカ国籍を持っているということは
知っていたものの、お父様の活動が
そのことに強く繋がっていたことを
その時初めて知った。

聞けば聞くほど、「えー!お父様って
そんな凄い方だったんですか!?」と
驚くことばかりで、しかも衛藤公雄さんという
アーティストが正直なところ、その活動(特に
アメリカ滞在中から日本帰国後)の半端ない
凄さと裏腹に、ほとんど日本の中であまり
知られていないということにもまた驚いた。

スティーヴさんから聞いたお父様の
エピソードの数々が私の中でイメージを
勝手に膨らませていたことがまずは
ベースにある。


昨年11月に奄美で2日間
『三弦の猿(ましら)』という
ライヴを開催した。1日目は2011年奄美民謡大賞
大賞受賞者・前山真吾
を迎え、2日目は
2023年奄美民謡大賞大賞受賞者・里朋樹
迎え、私は楽器は三線しか使わないという
ひとつの「しばり」を設けてライヴを行った。

私は沖縄民謡を習ったことはあるが
奄美のシマ唄を習ったり勉強をしたことがなく、
でも奄美に住んだことがあり奄美観光大使という
肩書きも持ち、奄美のシマ唄に接することが
今まであったから聴き馴染みのある唄も
多くありある意味真正面から奄美のシマ唄に
向きあってみたい気持ちがあった。

「真正面」
正確に書こうとすれば
ハシケンというミュージシャンが
奄美のシマ唄に向き合うということは、
どういうことをすることなのかを
お客さんが入っている実際のライヴで
トライしてみたかった。

以前から、実際に現地で習ったことがある
沖縄民謡に対して今現在日常使ってない言葉で
歌われてる歌を<アップデート>しないまま
歌うというのは、何か違和感のようなものや
もどかしさのようなものを感じていた。
だからこそ、私は沖縄民謡の元歌の雰囲気や
歌詞の内容は大事にしながらも自分で標準語の歌詞を作詞して載せるということを始めていた。

『三弦の猿』では、奄美のシマ唄も
そのやり方で表現しようといろいろと
試させてもらった。
お客さんの反応を見る限り、おおむね好意的に
受け取ってもらえた気がした。

私のような沖縄や奄美にルーツを持たない人間が
その土地の音楽を表現する際、最大限の敬意を
表しながらも、標準語を普段使う<内地>の
人間として自分の気持ちがしっかりと歌に
載るように言葉を紡ぐ必要があると
私は思っている。
そして普段標準語を使ってるから標準語で
歌う歌にこそしっかりと気持ちが載り
<言霊>が宿ると信じている。

それは私が14歳のころから
シンガーソングライターとして
作詞と作曲をやりながら、自分自身が
ライヴでその歌を歌ってきたという
経験がそうさせるのだと思う。

伝統を引き継いでいくことは、
ほんとうにとても大事なことで
その土地にルーツを持つ人たちが
その伝統が絶えないように、
古くから口伝えで伝承されてきた
様々な想いをまた次の世代に
託し繋げていくべきものだと思う。


『三弦の猿』では、初挑戦の語り
「ワイド節誕生物語」を初披露した。
大好きな落語家・十一代目桂文治さんが、
京都芸術大学のオープンキャンパスで
落語講座を行うことを知り受講し、
落語の基本中の基本を学び、コロナ禍の中
Youtubeでよく観ていた講談師・六代目
神田伯山さんの演目の一つ「中村仲蔵」の
序章部分を覚え一度体に入れ<カバー>
させていただき、
そこから「ワイド節誕生物語」を書き上げた。

「ワイド節」という素晴らしい歌を
独自なアレンジでカバーしたことが
きっかけで私は奄美に2000年に初めて
呼んでいただいた。

奄美との縁の始まりは「ワイド節」。
そのワイド節が生まれた時のエピソードを
奄美のシマ唄を数多くリリースされている
セントラル楽器さんのホームページで
あらためて知り、そのエピソードを元に
一つの物語として作り上げようと決めた。

『三弦の猿』で初披露してから各地の
ライヴでも上演し【語り】というスタイルでの
表現方法が、歌を歌うという表現方法と
同じように私にとって大事なものとなった。

まだまだ未熟ながらも、
語り「ワイド節誕生物語」を各地で
上演にするごとにしっかりと
反応をいただくことでまたあらたな語りを
作っていきたくなった。

そこにスティーヴさんのお父様
「衛藤公雄」さんの数々のエピソードから
私がイメージを膨らませていたものが
一気に湧き上がってきた。

「衛藤公雄物語」を語りとして作り上げることを
決心した。


物事には、いろいろなタイミングや
運命的な縁がふと顔をのぞかせることがある。


衛藤公雄さんの誕生日は1924年9月28日。
今年2024年9月28日は、生誕100周年という
大きな節目。
しかもその日が土曜日で、その日付に気づいた時、
昔からよく使わせていただいている
吉祥寺スターパインズカフェの店長へ
スケジュール確認のメールを送っていた。

都内のライヴハウスは、土日の日程は
かなり早くから押さえられてしまうことが多いが
9月28日は嘘のように空いていた。

この日にしか見せることができない
特別なライヴがやれると確信した。

『三弦の猿』で、その素晴らしい声と
三味線を使い奄美のシマ唄の高みを
見せてもらった真吾とまた共演、
しかも東京で『三弦の猿』でやったことの
進化系を見せることができる喜び。

お父様の生誕100周年の日に、
私が作り上げる語りをご子息として
出演者として身近で観ていただき、
いつもご一緒させていただいている
「はぶナイト」とはまた違ったアプローチで
今回参加していただくスティーヴさんと
共演する歓び。

この大きな2つの喜び(歓び)が
満開になる!
楽しくそしてふくよかな
ステージを作り上げていきます!

今日ぬほこらしゃや 何時よりも勝り
何時も今日の如に あらちたぼれ
(今日はなんてすばらしい日でしょう
いつよりもましてすばらしい
いつも今日のよき日のように
あってほしい)

これは奄美のシマ唄の中で
うたわれる言葉。
正にこの歌詞を体現するような日に
なるだろう。

衛藤公雄さんはアメリカから帰国後、
奄美を訪れシマ唄のレジェンド築地俊造さんと
非公開ながら共演したことがあるそうです。

2003年、私の姉みっち。に奄美の
ライヴハウスASIVIでの共演者として
初めての奄美行きを誘われ、
そこから頻繁に奄美を訪れるように
なったスティーヴさんもそのことは
後から知って驚いたようです。

いろいろな縁がつながり、
点だったものが
いくつもの線となり重なり、
9月28日花開くと思います。

『限定120名』とうたいながら、
前売りチケットは
まだ充分あるそうです。

奄美のシマ唄が好きだったり
興味がある方はもちろん、私のような
たくさんの関わりや縁があるもの
シマにルーツがない人間が、その土地の
音楽に本気で向き合い、また次に
つながる「新しいもの」を見せる姿が
どんなものなのかを心の底から
堪能していただけたらうれしいです。

語り「ワイド節誕生物語」、
そして初披露する
語り「衛藤公雄物語」。
真吾のシマ唄と私の歌が
スティーヴさんと絡み、
この3人だけで行う初めてのライヴ。
めちゃくちゃ楽しみです!

あ、もう一つ大きな初披露ものが!
真吾にうたってもらうために新曲を
書き下ろしました。

9月28日(土)
東京吉祥寺スターパインズカフェで
お待ちしています。

ハシケン


『うたと語り』ポスター

9/28(土)東京吉祥寺スターパインズカフェ
『うたと語りの世界』
〜これからの奄美シマ唄と
箏曲家『衛藤公雄』生誕100周年を祝う〜

開場18:00 開演19:00
前売5000円当日5500円
(共に1ドリンク別オーダー)
☆『限定120名様』
☆整理番号順入場・全自由

★前売チケット発売中!
https://eplus.jp/sf/detail/4134170001-P0030001

出演
ハシケン(ミュージシャン/語り/奄美観光大使)
前山真吾(奄美シマ唄 唄者)
スティーヴ エトウ(打楽器奏者)

詳しくは
https://mandala.gr.jp/SPC/schedule/20240928/

スターパインズカフェ
https://mandala.gr.jp/SPC
東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
0422-23-2251 (16:00〜)

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