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映画レビュー 一命(2011)

今回の映画レビューは2011年公開の「一命」。

三池崇史監督による作品で、主演は市川海老蔵。

この作品は1962年公開の小林正樹監督による「切腹」のリメイクとされる。
「切腹」を見ている人が色々と突っ込みどころがある作品のようだが、私はこちらの「一命」が初見なので特に気になる要素なし。

物語は食い詰め浪人とされる若い浪人が、大名井伊家にて当時流行っていた狂言切腹を行う事で、病の妻子を救おうとするが…というもの。

物語は生活に窮して武士の面目などを捨てざるを得ない側が主人公。
なので必然的に同情が寄せられるシーンが多く、見ていても中々辛いものが多々あるのが印象的。

ただ、この作品のカギは「武士の面目」
この武士の面目というのもについは前半から丁寧に描写され続けるが、生活に窮して武士の面目も保てない主人公の視点での描写がメイン。

最後に武士の面目に拘る井伊家家中と、武士の面目とはなんぞや?と問いかける主人公が、竹光にて大勢の井伊家中相手にダイナミックに立ち回って見せる。

この最後の殺陣が最大のクライマックスだが、肝心の物語の方に視点を移すと巷では想像以上に評判は悪い。

この作品、私が実際に見たのは公開翌年(2012年)でDVDにて鑑賞。
この時すでに巷には批評が出揃っていて、物語の内容について否定的な意見が多かったと記憶している。

中でも主人公の行動や動機が理解できないというものが多数を占め、「武士の面目」に拘って自身も、妻子もむざむざと死に追いやった事に理解ができない…という感じの意見が多かった。

確かに現代社会を基準に考えるとそういう意見や思いになるのは理解できるが、物語は武士社会でのものある。この辺りの時代的背景を考慮すれば、主人公の行動はそこまで不自然ではない。

中でも歴史的事実を深く掘り下げてみれば、この作品の物語に非常に深みが出ている。


それは主人公が元は福島家(広島藩・福島正則)の家中で、主人公が相手にするのは井伊家(彦根藩・井伊直政)の家中だからだ。

これから話すことは歴史的に実際のお話し。

劇中でも触れられているが、福島家と井伊家は関ヶ原の戦いで共に徳川家康の東軍に属し勝利すると、その論功行賞にて福島家は広島で49万石、井伊家は18万石の大名になる。

その後に成立した徳川幕府によって、井伊家は徳川譜代の大名として丁重に扱われるが、逆に福島家は豊臣恩顧の大名として粗略に扱われ、挙げ句に広島城の石垣修復を無断で行ったと因縁をつけられて改易される(実際には川中島5万石へ転封)事となる。

福島家が改易に繋がる最大の要因となった広島城の石垣修復にしても、石垣が崩れたままでは「武士の面目が成り立たぬ」という理由で許可を得ぬまま修復した事が起因しているのだ。
これは劇中でも描かれている。

その後に福島家中の多くは主家改易の為に浪々の身となり、逆に井伊家中は徳川政権内でも重要な位置を占める。実際に井伊家は関ヶ原の合戦直後こそ18万石だったが、この物語の時代(井伊直孝が藩主)には35万石にまで加増されている。

しかし井伊家にとっても後に幕末に起きた「桜田門外の変」で武士の面目を失墜させる。

その「桜田門外の変」では一100名近い護衛(諸説あり?)が居ながらも、たった十数名の浪士(水戸脱藩浪士)に蹂躙されて、むざむざ藩主(大老)を討ち取られるとは「士道不覚後」と言われ、幕府内のみならず世間からも揶揄された挙げ句、井伊家は減封の措置まで取られている。

井伊家も幕末期でついに「武士の面目」を失う事になるのである。

ちなみにこの辺りは彦根井伊家の事情は、中井貴一主演の映画「柘榴坂の仇討」で描かれている。

このように生活に困窮する浪士にスポットを当てた物語の中で、さらに「武士の面目」というテーマを福島家と井伊家との間で描いたのは面白い。

関ヶ原で同じ東軍として勝利を分かち合ったものの、一方では嫌がらせを受けて没落した家、片や重用されて奢り高ぶる家中。
これらの思惑と事情が最後の最後に見事なまでにぶつかりあう。

歴史を少しかじった側から言わせてもらえれば、これほど深みのある物語の構成は無いと思える。

ただ…劇中ではこれらの歴史的事実、その裏付けと説明の描写が少ないというか、ほとんど強調されていないのがネックとも言えるだろう。

その辺りは残念に思うが、渋い市川海老蔵による静かな演技、三池崇史監督の演出による迫力あるシーンは十分すぎるほど楽しめると思う。



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