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母の見送りへの道 【気付きと感じた事⑪】(葬儀関係)第34回/全35回

母の旅立ちと私の見送りの記事は終了しました。ここからは母の旅立ちと私の見送りで道のりの中で、気付いた事や感じた事を紹介していきます。今回は母にとっても私にとっても本当の最後の最後となる葬儀関係について話してみたいと思います。



母にとって私にとって本当の最後の最後…では無いのかもしれないが、結構明確に区切りがつくイベントはやはり葬儀になると思う。その後魂は四十九日まで…とかそういう発想になればまた違うのだろうが、母の身体そのものが無くなるのでやはり一番のお別れの儀式でもある。

実は母が癌の治療をしないという決断をした後、近場の葬儀場に見積もりを出してもらっている。要は最後に向けての準備をある程度していた訳である。

あらかじめ葬儀場やお寺さんに話をつけていく…というのは近年では当たり前のようになっているとの事。まだ生きているのに死後の段取りをつけるというのはやはり抵抗感があるものの、ある程度事前に話をつけておくことでイザという時にスムーズに事が進むというのは感じた。

実は事前に葬儀場やお寺さんに話をつけたのは私ではなく、以前ここでチラっと書いたけど(カミングアウトの記事)家の事を何もしない父である。まあその時にも書いたけど、最後に向かう母に対して今のうち(生きている内)に何かをしてあげようというのではなく、母が死んでからの事しか頭にない男でもある。

なので実際に父が見積もりに行ってからも結構ひと悶着はあった。

「ちゃんとした葬儀場(○○会館)に頼むとこんなに金が掛かる」
「この辺の人間は誰もあんな所(○○会館)を利用しない」
「俺がもっと安い所を見つけてくる」

まあ…こんな感じ。
当時の私としては今後の看護や母の最期への道のりの安全と安心を優先させたかったので、葬儀の事に関してももうどうにでもしてくれとほぼ丸投げにした。ただあの男に安い葬儀会社選びを任せると絶対にとんでもない事になると分かっていたので、近場の葬儀会社(○○会館)にお願いする事だけは強く言い聞かせた。

私の言葉に案の定父は不満げな顔をしたが、任せると絶対に行き届かない家族葬のプランを持って帰ってくると思ったし、実際に葬儀を全て終えた後で振り返ってみてもちゃんとした葬儀場に任せてよかったと思えた。

母が入院した時の面接ではもう治療をしない…という方針の下だったので、その時に葬儀会社やお寺さんが決まっているかを尋ねられている。お寺さんも菩提寺があるのでそこに事前に話をつけていたし、この面談の時もスンナリと話が進んだ。まあ聞くところによるとこの面談時、あるいは実際に旅立っ時点でこの関係がハッキリしていないと結構苦労するらしい…。あくまでも他所から聞いた話や、ネットでの体験談でしか見てないけどね。

葬儀会社、お寺さんが既に決まっている状態でも、母が旅立った直後の4~5時間は滅茶苦茶忙しかった。母が旅立って少し悲しむ時間を貰ったものの、残りの2~3時間ですべての段取りを一人でつけたが、これ葬儀会社やお寺さんが決まっていない状態だったら…と思うと本当にゾッとする。

これはあくまでも私個人の感想ではあるが、葬儀会社の車が病院にお迎えに来る→葬儀会社の安置所に入る。この流れまでがかなりスムーズに行けたので、結構楽だったなとは思う。安置所に入ると意外と時間が取れるので、その間にお寺さんや親族に連絡を取れるなどの利点はあった。まあ葬儀会社の方とその後の段取りを同時に進めていく事になるので大変は大変ではあるが、個人的にはあの安置所の中に入る事で比較的いろんな意味で落ち着いたのが大きかったかなと思う。

ちょっと余談になるが、以前ここでの記事にも書いたように、病院にお迎えに来てくれた運転手さんの機転が利いた優しさには未だに感謝している。実は私が病院から(病室)引き払う際に持ち帰る為のドでかい荷物を抱えているのを見て、運転手さんが「荷物を自宅に置きに帰られますか?」と尋ねてくれた。その言葉に甘えさせてもらって自宅に一旦寄る事になったのだが、これは同時に母自身が一旦家に帰る事にもなったと思う(あくまでもマンション玄関前ではあるが)。母を一旦家に連れ帰る…という発想がそれまでの私には無かったので、この一件には本当に感謝している。

その後の葬儀関係はかなりスムーズに進んだと思う。初日は安置所で静かに過ごし、翌日は昼過ぎから夕刻にかけて徐々に親族が集まってくれた。納棺を済ませて夕刻には通夜があったが、お寺さんへの対応などもずべて葬儀会社側がやってくれた。完全な家族葬にしたのでかなりの少人数(10人程度)だったものの、いろんな段取りも滞りなく対応とフォローもして頂いた。

通夜の晩は大きなお部屋を借りた事で遠方から来た親族には葬儀場で泊まってもらう事も出来た。借りたのは結構な大部屋だったし、設備も完璧なまでに整っていた(お風呂まであった)ので親族の方々に不自由させることは無かったと思う。

また斎場への行き帰りも送迎バスをお願いしたのでスムーズに事が進んだと思う。私自身は他所の葬儀にも何回か参列しているが、この斎場へと向かうのがそれぞれの参列者の自家用車だった場合、意外と斎場に着くまでの時間が揃わなくて何かグダグダになるケースを見て来た経験がある。斎場で最後のお経をあげるケースも珍しくなく、それに間に合わないとかね。この辺りの経験から送迎バスで全員で移動する方が良いという判断だった。

これらの事もあって葬儀が終始スムーズに事が運んだ事で、母の見送る儀式を完璧に出来たと思う。また親族の皆様に対しての我が家の面目も立ったと思う。この面目が私ではなく父の面目(これでも世帯主、喪主だからね)になるのはちょっとシャクなんだけどな。ほとんど段取りと親族への対応もオレ一人でやったぞ…と(笑)

まあ滞りなく葬儀を無事終えれたのは何より。葬儀会社の方々には何かにつけて助言とフォローを頂いたのも大きかったと思う。なにせほぼ私一人で判断しなくてはならない場面が多かったが、その都度葬儀会社の担当者に聞いて最善と思える選択肢を採ってきた。それで最終的に上手くいったと思えるのだから、母の葬儀そのものは成功だったと思いたい。

葬儀の最後に会場で飾った供花の数々を持たされた。まあ親族の方々にも立派なお花を出してもらえたのもあるが、立派で本当のたくさんのお花を家に持ち帰った。そしてしばらくの間母の祭壇には立派な数々のお花で大いに彩られる事になる。花が大好きだった母が喜んでくれたかな…。

まあこれが安い料金の家族葬の業者だったらどうなったのだろうか?とは思う。

個人的には葬儀は人生最後のイベントでもあり、しかもそれを見送る側の立場と心理としてケチケチとして貧相なものにはしたくない…という想いがあった。他の業者さんや安い値段のところでどの程度の葬儀が出来るのかは定かではない。確かに今回の葬儀では余裕で100万以上の費用は掛かったが、母の旅立ちを見送るのには十分な葬儀が出来たと思うし、参列して頂いた数少ない親族に対しても面子は十分に保たれたと勝手に思っている。

何よりも母をきちんとした形で見送りたいという私の想いはある程度は完璧な形で達成できたと感じている。まあここでは書かないのだが、この葬儀の期間中に父との間でそれなりのバトルが勃発はしている(四十九日まで続くのだが…)。その出来事は私自身が死ぬその瞬間まで引きずると思うが、母を無事に見送る事がで来たことにホッとしているし一定の満足感を得ることも出来た。

まあ葬儀は残された側の自己満足、ただの面子の問題とも言われる。
それに対して大金を要する事に抵抗を感じる人が居るのも分かる。
この辺りは本当に残された側の個々の考え方次第なのかなとは思う。
それぞれその時の条件や事情に因る所はあるだろうしね。

でも今振り返っても悪い葬儀では無かったと思えるので、それなりの費用が掛かった事を悔やむようなことは無い。まあ実際のところ当時はお金云々の問題では無かったからね…いろんな意味で。

ただ実際に母の側から見ると自身の葬儀はどういう風に見えたのだろうか。
母にとって葬儀の最中に不都合はなかっただろうか。
次の旅路に向けて持っていきたいものは他にあったのだろうか。
この世に何か心残りはあったのだろうか。
私が母に向かって最後の最後まで手を振り続けたのは見えていただろうか。

葬儀は人生の最後の大イベントではあるが、実際に旅立つ側は何も出来ないもの。旅立つ側の意向を見送る側がある程度ちゃんと酌んであげなくてはならない…のかもしれない。


【注意事項】


この記事を書いている私は医療に関しては素人なので記事の中で間違った認識、表現、名称を記述している可能性は高いです。さらに一部で感情論に走っている面もあると思いますが、なにとぞご理解と温かい目で見て頂けるとありがたいです。


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