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母の旅立ち、私の見送りへの道 1月編⑨ 1/28~1/30(緩和ケア科に入院するまで)第13回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。

今回は母の脳出血が判明してから、S病院の緩和ケア科に入院するまで3日間を一挙に紹介。連日のように身体の痛みと目眩を訴え、さらに夜には嘔気の連続…。私は母の側に付きっ切りだったが、嘔気と戦っている母の姿を見るのも本当に辛かった日々…。



1/28【S病院緩和ケア科への入院が決定する】

4:30

この日も夜は寝れない感じで、終始身体の痛みを訴える。
母上の身体を触ったが冷えたり、熱くなったりを繰り返すような感じ。
4:30にオプソ(痛み止め)を1本飲んで眠る。

7:15 

起床

7:40

朝食。(リンゴゼリー少量)ポカリスエットも飲む。
トラベルミン(酔い止め)とスインプロイク(便通)を服用

9:40

トイレ(大)、車いすで移動。
とりあえず大が出た事で膨満感も治る事を期待したい。

9:50

A看護ステーションの看護師さん(Tさん)到着。
診察と点滴を受ける。

11:00

診察終了直後に看護師のTさん再訪。
本日トイレ(大)があった為、お尻を清潔にするようにと担当医師(I先生)から指示があった様子。
お尻を拭いてもらう。

12:15

身体のだるさを訴える。
オプソ(痛み止め)を飲む。

13:00

食欲無く昼食は見送りの予定。
フェントステープ(麻薬)の貼り替え。

14:15

眠る。

16:00

訪問医師のI先生到着。診察
前回の血液検査等の結果報告と今後について私とI先生の間で話し合い。
明日(1/29)以降にS病院の緩和ケア科にお世話になる事が決定。

これで「Iクリニック」の診察は最後になる。
I先生、今まで大変お世話になりました。
ありがとうございました。

16:30

入院が決定した事を受けて、母とお話し。
もしかしたらこれがこの家でお話しをするのは最後になる可能性も。

17:20

眠る

20:00

夕食。
リンゴゼリー少量を食すのみ。
トラベルミン(酔い止め)、ランソプラゾール(吐き気止め)を服用。
トラベルミンを飲んだ直後にかなり強い嘔気あり

20:30

トイレ(小)と歯磨き(車いすで移動)。

20:50 

就寝。

23:45

 身体の痛み訴え、オプソ(痛み止め)を飲む。

【1/28補足】

明日以降のS病院の入院が決定。最終的にはI先生からS病院の方に正式に話を通してもらってになるが、入人の日にちはともかく入院の受け入れ態勢にはあるという事は確認が取れている。母がこの家で過ごす最後の夜となる可能性もあると思うと、何かをしなきゃ…という思いになるが、実際には夜に嘔気が出るなどそれどころではない状況に。

今夜は何とか無事に過ごしてくれ…という思いが強いのだが、母が大好きだったこの家の事を振り返る余裕すらない事をとても残念に思う。

1/29 月 【明日の入院が決定、介護認定の面談、夜間に嘔気頻発】

7:20

起床。
昨晩は少し寝返りが多かったものの、良く寝れた方だと母の言葉あり。

8:00

トイレ(小)と歯磨き(車いすで移動)。

8:20

朝食。
グレープフルーツのゼリーを少量食す。
トラベルミン(酔い止め)とマグミット(便通)を飲む。
【補足】
便通薬はスインプロイクだが、本日S病院への移動となった際に急遽トイレに行きたくなるのを防ぐため、旧型のマグミットを飲む事にした。

9:00

A看護ステーションの看護師さん(Mさん)到着。診察と点滴。
今日以降のS病院への入院がほぼ確実なので、今回がおそらく最後の訪問看護になると思われる。なので自宅で保管していた各種薬と器具を全て持ち帰られた。

A看護ステーションの看護師皆さま。1か月ほどの間でしたが、今までありがとうございました。

11:00

点滴止まる

11:15

点滴は自然と再開するも12:00には再び止まり、諦めて200mlを残して点滴を外す。
Mさんの点滴はいつも途中で止まる事が多いという印象。
他の看護師さんの点滴は途中で止まったことが無いのに…これはちょっと不満。

13:00

昼食。茶碗蒸しうどんを少量を食す

13:20

フェントステープ(麻薬)貼り替え

14:00

市役所の介護認定の担当者の方が来訪
直に母上に氏名と生年月日を尋ねたあと、別途私との間で母の現状の聞き取り調査。
介護認定はほぼ確実で、なるべくはやく認定書を送ると言ってくれる。

14:20

訪問医師のI先生から電話あり。
S病院との間で話がまとまって、明日(1/30)の10~11時にS病院で受け入れる態勢にあるとの事

15:00

ケアマネジャーYさんに電話。
明日のS病院への入院を伝え、移動の為の介護タクシーの手配と、予約していた訪問入浴(2/1予約)のキャンセルをお願いする

19:30

夕食。
茶碗蒸しうどん(昼食の残り)を少量食す

20:00

トラベルミン(酔い止め)、マグミット(便通)、ランソプラゾール(吐き気止め)を服用。

21:00

トイレ(小)、歯磨き(車いすで移動)。
歯磨き時にかなり強めの嘔気あり。

21:15

再度トイレ(大)。
大が出たものの、トイレ内で再び強めの嘔気。

22:00

就寝

【1/29補足と後日談】

夜に発生した嘔気はかなりヤバめ。母上が必死になって吐き気を抑え込んでいる姿が痛々しすぎる。これで夜間の嘔気は5日連続となる

また母自身の食事摂取量もここ数日でかなり激減
母がこの家で過ごす最後の夜となる事が決まったのに、母にとっては辛い事だらけなのがとても悲しい。

市役所の介護担当職員との話ではどのくらいの要介護レベルになるかまで聞いていなかったのだが、後日(2月半ば)に届いた介護認定書では要介護レベル5だった。

1/30 火 【S病院への入院当日】

1:00~4:00

4:00までよく寝れない感じで、終始寝苦しさを訴える

4:15

オプソ(痛み止め)を半量飲む。

7:00

全身に痛みを訴え。
4:00に飲んだオプソ(痛み止め)の残り半量を飲んで少し眠る。

7:30

朝食。
グレープフルーツのゼリーを半量食す。

7:50

トラベルミン(酔い止め)を服用(S病院への移動対策として)

8:10

トイレ(小)、歯磨き(車いすで移動)。
トイレ、歯磨き時に頭がぼーっとすると訴え、終始ふらつき気味。
オプソ(痛み止め)の影響か?

8:30

出発の為の最低限の着替えをするがパジャマ姿のまま。
8:00過ぎに訪問医師のI先生に電話して、介護タクシーでの移動前にオプソ(痛み止め)の服用方法と、入院時の服装について問い合わせをしてみる。オプソは1時間間隔を開ければ飲んで良いと言われ、服装も着替えが大変だからパジャマ姿で良いと言ってくれた。

8:40

迎えの介護タクシーが来るまでベットで横になる。

9:30

介護タクシー到着。
前回と同じくKさんだった。
母上に上着、靴下、帽子を被らせて家を出る。

最後に母上がこの家に向かっての別れをさせれあげられなかった事に悔いが残る。

9:40

マンション中庭の駐車場でストレッチャーに移乗。
ストレッチャーへの移乗の際に母の首が座らず、ふらつき気味になってヒヤッとする。

9:45

S病院に向けて出発。
途中ストレッチャー上から母上が以前住んでいた場所の近くを通る交差点を見つけて、その周辺に住んでいた頃の話をする。
母がちゃんと車窓(外の景色)が見えていた事と、僅かではあるが昔話が出来て嬉しい。

何より移動中に気分悪くならずに過ごせたのが一番良かった。

10:20

S病院に無事に到着。
受付開始。

10:30

受付の感に母は病室(個室だった)に運ばれ、PCR、血液検査などを受ける。(PCR検査は鼻に検査棒を突っ込まれ痛そうだった…)

10:50

私が母の担当医師(T先生)、看護師(この時は担当看護師が不在でMさん)と面接。
母上の状況説明と今後の方針についての確認と話し合い。

12:00

病院で昼食。果物系のゼリーが1つ出ただけ(元々食欲が全然無いと事前に説明した為)だが、そのゼリー半量ほど食べる。
僅か半量でも看護師が大袈裟に喜んで見せ、担当医師(T先生)もわざわざ病室に駆けつけるなど母上の気分を盛り上げようとしてくれる。

12:50

病衣にお着替え、点滴も開始

13:30

眠る

14:00

他に必要な入院グッズ(口腔ケア用品、各種タオル、肌着(上)、保湿クリーム、保険証、S字フックなど)をの用意を算段して病室を退出する。
私は電車とバスを使って母の居ない自宅へ向かい、16:00には無事帰宅できた。

【1/30補足と1/28~1/30(S病院入院まで)のまとめ】

とりあえず…という感じだが、母は予定していたS病院の緩和ケア科へ無事に入院できた。現状ではこれが最善の方法なのだろうとは思う。

病院なら看護のプロがいるし、何かと行き届くのだろう。私自身は母の看護(介護)でひと段落つく事が出来るはずで、多少なりとも楽になるのだろうか。ある程度この日を目指して頑張ってきたとはいえ、実際に入院してしまうと何か拍子抜けというか物足りなさを感じる。ここに到達するまでの道のりが険しかった分だけ、母の居ない家にすごく違和感を感じてしまった。
ただしここで終わりではないのだが…。

最後の3日間は夜になると嘔気に苦しみ、夜中には身体の痛みを訴え続ける日々。この家で最後の夜となった1/30でも未明から痛みと寝苦しさを訴えて、中々眠れなかった様子。この日の9:30に家を出発してS病院へと向かうが、母上にとってこの家に居る最後の日、最後の時間に、母が大好きだったこの家と真面なお別れをしないままに出た事をとても後悔している。
母が選んで母が最も愛したこの家。その大好きな家で10年以上暮らしたこの家とのお別れの際に、ほとんど振り向く機会すら与えられずに家を出させてしまった…という事実は今後私の人生の中でずっと後悔し続けるだろう。

もうこの時の母にとっては病室へと様変わりした自分の部屋とトイレと洗面台しか見ていないはず。この家の部屋の隅々を管理し、細やかに気を配って綺麗に清潔に保っていた母だが、最後はその家の様子をロクに見る間もなくこの家を出ている。

ただ実際問題としてこの時の母上の状態では車いすに移乗するのも一苦労という感じで、家の中を隅々まで車いすに乗って見て回る…というのも現実的では無かった。介護タクシーでのS病院までの長い道のりの備えて体力は温存すべきだったし、いくら車いす上だったとしても上体を起こしているだけで目まいや吐き気に襲われる可能性も高かった。

なので迎えが来るギリギリまでベッドで寝ているのがベスト…と判断して、直前までベッドの上で寝かせていた。ただこの判断がはたして正しかったのか?と言われると微妙だと思うし、もっと他に良い手段があったかもしれない。母上にとって大好きな家とのお別れ…という所をもっともっと重く見ていれば、もう少し気配りが行き届いていれば…という後悔の念は強い。私とすればこの家に対する母の想いの強さを知っているだけに…。

とは言え入院という事で私自身もひと段落したのは事実。ただ母は元気なうちに(実際には元気ではないが動けるうちにという意味で)私の為を思ってホスピス行きまでの道筋をつけたのだろう。ただ自らここまでの段取りをつけていた事自に本当に驚くばかり。

しかしここに至るまで(入院まで)の険しい道のりは忘れられない。まだ入院してからも険しい道のりとなるのだが、近くに医療のプロがいる場所と、自宅で素人が付き添っている場所とでは私も母も気持ちの面で違ってくるだろうと思う。

とにかく痛みや嘔気に苦しまずに過ごせるような状況になって欲しいと思っていた。ただ…実際には入院してからも戦い続けなくてはならない状況が待ち構えていたのである。


【注意事項】

この記事を書いている私は医療に関しては素人なので記事の中で間違った認識、表現、名称を記述している可能性は高いです。さらに一部で感情論に走っている面もあると思いますが、なにとぞご理解と温かい目で見て頂けるとありがたいです。

https://note.com/hasiba_hn/m/m72039397a78b

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