全て上手くいくわけじゃない、互いに通じ合えない日だってある。それでもこの関係を続けられる要因。それは互いを信じているから。そして互いの味方でいてあげること。つまり『好きだよ』ってこと。言葉でもいい、見つめあって眼で伝えるのもいい。時々でいい。気持ちを忘れないために。
物事なんてそう簡単にいくわけないんだよ。それはただ見せかけや思い込みであって、どこかでブレーキがかかるようになってる。世の中が変化していくのに合わせて我々も絶えず変わっていく必要がある。そうしないとストップして取り残されかねない。そんなすぐ死んじゃうことないだろうから落ち着いて。
2022年、寅年。20代も後半を迎え、まだまだ行けるぞと突っ走りたい気持ち。それと並行して自分の進む道が本当にこれでいいのかを、日々己と向き合いながら自問自答を繰り返している。どの道でも険しいのは同じなら、やりたいこと叶えたいことに振り幅を大きくとって今の自分を超えられるように。
ここいらで一旦毎日noteをストップしてみようかしら。そりゃあ毎日続けることに越したことはないけど、内容がいまいちだったり読んでもらえるような文章を毎日洗練させてやろうなんて根気以上の力が必要になるのは必至で。つぶやきじゃなくて投稿フォームからしっかりと意思を伝えるようにします。
自分の思うようにいかないことも、気づけば時間の経過と共に進んでいく。嫌でたまらなかったマスクもいつも間にか心地の良い季節になった。不安だからの未来を思い描いていた昨日のような出来事はあっという間にかき消されていく。当たり前が当たり前になっていくように過ぎる時間に期待するしかない。
ゆりの花。
晴天と緑のやまやま。 #福井 #福井魅力再発見
自然の命。
落ち着いて、いつも通りいつも通り。
どこに行ったら安全なのだろう。
新しい居場所を見つけるのはそう容易ではない。自分の足で訪れてみて、そのお店の雰囲気を体験し、マスターとも会話を重ね、そこまでやって初めて自分の中にある閉じた部分を解放できる。他人から見れば極端かもしれないけど、最初から決め打ちして長居したところで満足感なんて得られるのだろうか。
当たり前のことが全て正しいとは限らない今日この頃。疑義が生じればこっそりと聞いてみるし、それが変だと思えば別の動きを取ってみる。その中だけでやっていることであって、世間一般から見れば常識外れのことも有るかもしれない。自分とその周りを信じてみることも大事。
人は誰かに見られていないと生きていけない生物みたいだ。人は繋がりなくして歩むことは相当難しい。人を選ぶのはまた人なのであって、第三者的目線に立つ人が評価をしてあげないと人である意味が無くなってしまうからだ。その為に自由という表現が世の中にあって、そこに我々はとどまっている形。
夢を追える人はとても綺麗だ。自分の人生をかけて夢という相手に挑むのだから。周りの評価など目もくれず、ただ信じた道を自分の意思で進んでいく。綺麗なプロセスなんて要らないんだ、どこかに待つ自分自身の答えを見つける旅に皆出ている途中。その答えが受け入れられた時、夢が現実になる。
1人で生きていくことの大きさは計り知れない。学習で言うなら赤ペン先生が居ないのと同じ。暴走した時に静止してくれる人がいないことだ。腹を割って話せる友人が1人や2人いてくれた方がどんなに心強いか。味方でもあり時には意見してくれる人が側にいないと自分も力を発揮できない気がする。
人って同じ内容の文章になってきたなって分かるものなんだよね。だからビュー数も次第に減っていってる。継続していく上で飽きさせない工夫って常に考えないといけないことを改めて感じている。頭の中にある構想を書き出してアイデアを練る必要があるなぁ。発信も大事だけど中身も大事だから要検討で。
#風鈴 風が吹く限り音を奏で続ける 聴く人の心を癒す魔法の楽器 明日も晴れるかな。
山間の小さなカフェ。都会の喧騒から離れ、人も少なくなった土地で古本も扱う。始まって数ヶ月だがコロナ禍の中でも知る人は足を運び、ひと時の癒しを手にできる。地元食材を使ったランチは人気、その他ドリンクメニューも種類が豊富。クラシックの音色も添えて、小豆書房。
普段なら秋の装いへと意識が変わりつつあるこの時期。あれ?夏真っ盛りなんだが。吹く風は肌を刺し、照る日は体力をも奪っていく。セミの声も聴こえず、天敵の蚊も姿を現さず。ここは日本ではなかったのか、気象に関する懸念が広がるばかり。自然には勝てないとはこの事を言うのだろう。
休みもなく働いていると、お客のために働いているのか自分のために働いているのか分からなくなる。本来は前者でなければいけないのだが、段々と考える気力すら失われてきてロボットのような動きになっているような気がする。でも、たまには自分のことも考えられる時間がないと世の中渡っていけない。
毎日noteが365日を迎えました。途中の何日かはサボり気味ではありましたが、その日その時感じたことを自分の言葉でつぶやきにして書いてきました。続けることは諦めるより何倍も難しいのだなと。考えることをやめることは己を無いものにしているのと同じ。自分を作るには必要不可欠だから。
来たる現実なんぞ気にしていたら、自分のことすらままならなくなる。今はただ、自分にできる最大限の配慮をした上で動けばいい。もちろんTPOを弁えた最適な手段を選び続けることが重要。世の中の動きに敏感すぎるのもどうかと思うから、スマホやテレビから距離を置いて深呼吸をしてみる。
限られた人々の中でひっそりを自分のやりたい事ができるって凄く勇気がいる。リスクよりも可能性を取って生計を立てていくのは容易じゃないと思うし。ただそれを好きでいてくれる人がいる限りニーズは消えないし、届ける側も多少の柔軟さは持ち続けないといけない。狭い世の中を生きるのは大変だ。
iMacがようやく届いた。デスクトップPCが手に入ったことで家での作業環境もパワーアップするし、何より自分のやりたいことに重きを置けるようになったことが大きい。投資としては多かったけど、それだけやる気が高まったということだ。いよいよ仕事を創れたら勝ちの時代に飛び込む。
ずっと一緒にいたい、線香花火を見つめながら彼女は呟いた。社会人になり遠距離が続く中で、久し振りに見る彼女はどこか違っていた。コロナ渦の影響もあってオンライン上でしか会話できていなかったからなのかな。共に決心をしないといけない時期なんだと思う。次のステージに向けた、大きな一歩を。
奇跡は努力の裏返しのようなもので。何もない状態からミラクルを起こしたところでそれは偶然になってしまう。転がっているのはチャンスだし。全部に共通していることだけど、やっぱり行動が伴うことによる出来事であって、動きもしない人が日の目を見ることなんてほぼゼロだろう。動いてみた人の勝ち。
キミと、この桜を見れたなら。うれしいな。
気分が沈んでいる時だってあるよ。今日なんて特にそう。外を眺めても灰色の空と大きな雨粒がたくさん振っているだけ。面白みのかけらもない。だから、音だけを感じるように生活してみた。自分は静かにしているのに周りではいくつもの音が重なって耳に届いているんだなと。改めてこれが自然なのかと。
日本人っていろんなことを3つに纏めたがる傾向にある気がする。特徴的なものが3蜜。これ以外にもやることがあるだろうに、今でも叫んでいる。確かに人々の間に浸透してきているけど、言葉だけでは緩みが生じてもおかしくない。更に言うなら矛盾した政策を実行しても意味がないよってこと。