「文化相対主義」が正しいとすると、文化として成立する(=その文化に属する人がいる)という言い訳を使えば、どんなグロテスクな行為も外の立場から介入することは出来なくなってしまう。 どなたか「文化相対主義」が現在のアカデックの現場において、どのように扱われているかを教えてください。