1885(明治15)年頃、名古屋の海部兄弟が岐阜地鶏と中国産バフコーチンを交配し、温厚かつ頑健で肉も卵も美味しい鶏を作出、『名古屋コーチン』と命名す。 1905(明治38)年に日本家禽協会により国産初の実用鶏種として認定、今では比内・薩摩と並ぶ日本三大地鶏の一つとなった。
日露戦争中の1905(明治38)年6月、日本海軍はロシアのバルチック艦隊を破った。だが戦争継続の余力を失った日本は、同様に疲弊したロシアに対する停戦の斡旋を米国のルーズベルト大統領に申し入れる。 同年9月5日、米国ニューハンプシャー州ポーツマス近郊にて両国の講和条約が締結。