黄河決壊を最初に立案したのはファルケンハウゼンだったようだ。しかも35年時点で。 byWIKI 1935年8月,德國軍事顧問團總顧問法肯森豪將軍提交《中國抗日戰備建議書》,其中提及「最後的戰線為黃河,宜作“有計畫”之人工氾濫,增厚其防禦力。
軍というのは他のどの組織より規律と戦略が重視される。それがなくては戦争に勝てないからだ。したがって南京戦では市民を皆殺しにし、半年後の徐州戦では洪水被害者を救出するなどという気まぐれな行動はありえない。つまり南京虐殺か洪水被害者救出のどちらかが嘘であるということになる。