自分の記憶なら何でも思い出せる装置を発明したからこそわかるが、他人と自分の感覚が同じかあるいは違うかどうかは、どれだけ言葉を尽くしてもわからない。自分の記憶だったから、確かめることができ、この頭につけている装置を発明できたのだ。感覚を共有できる装置の発明は非常に困難だろうと思う。