発明したものの、発明したこと自体を忘れてしまっていて、その発明品で発明したことを思い出しているのだから、もはや、自分で意図してやったことなのかどうかさえ怪しい。よくよく考えてみれば、自我などというものは、わかっているようで、さっぱりわからないものだ。自分が自分とはどういうことだ。