基本人間は論理的に生きるような体ではない。非論理的なのが自然だとさえ言える 論理的な人も非論理的な人も互いを支え合えればと思う。どっちが正解だとかではなく、どちらも生きられるような社会を目指すべきではないか? 論理を重視して人の命や心を軽視するのは間違っていると思う
たまに全国民が読めばとか、全国民が知るべきとか言う意見があるけど、それは無理であり、危険だと思う 人間の頭はすべてを理解できるような作りはしていないし、足りないと知識を補い合うのを前提としていると言われている。同じ知識ばかりになってしまうのは恐ろしいまでに危険な状態と言える
環境を変える。環境を整えるというのは想像以上に困難でどう進めればいいのかわからない 一人ではとても無理だから、協力者がそれもそこそこの人数が必須である 子供を最優先にする。利他の心を育てる。これらのキーワードで同志を見つけられないかと思う
技術や制度の進歩は人の心に必ず傷をつける。進歩し続けるさなかに何もせず放り込まれれば、心はボロボロになってしまうと思う 論争や制度批判でもおそらく心に傷は負うと思う。生まれた傷の放置は危険ならば、傷をケアする動きを取ることが健全な心をを保つためにも重要だと考えられる