基本人間は論理的に生きるような体ではない。非論理的なのが自然だとさえ言える 論理的な人も非論理的な人も互いを支え合えればと思う。どっちが正解だとかではなく、どちらも生きられるような社会を目指すべきではないか? 論理を重視して人の命や心を軽視するのは間違っていると思う
技術や制度の進歩は人の心に必ず傷をつける。進歩し続けるさなかに何もせず放り込まれれば、心はボロボロになってしまうと思う 論争や制度批判でもおそらく心に傷は負うと思う。生まれた傷の放置は危険ならば、傷をケアする動きを取ることが健全な心をを保つためにも重要だと考えられる