このままでいいのかな?? そのように 思ったときに 直接 忠告や 警鐘を鳴らせばいいのだ 気になる事が あるのなら 本人に 直接 聞いたらいい 出来ないなら 絶対に 関わらない事だ それを 大きなお世話 という
そんな事は他人の目線からは 絶対にわからない事だ あんなに遊んで 後で困っても知らないよ? そう思って見ていればいい そのうちに 気が付く事ができるだろう 遊びに夢中になっている間は 何を言っても聞くことはない 遊びに一区切りが付いた頃に 考える事だろう このままでいいのかな??
本当に困窮し 悩んでいるのなら どこかに 相談に行ったりするだろう 身近な誰かに 打ち明けるだろう 誰にも 相談しないのなら 本人が 大きな試練に 耐えうるからだろう または 試練に 耐えてきたのだろう 遊んでいたように 見えていた経験は 学校の勉強には 役立たないのかも知れない
その逆に 貧乏でも 何の問題もなく 楽しく 暮らしているのかも知れない そんな事は 本人しか 知りえない事である それは 他人がどうこう言えることではない それは おせっかい はた迷惑 と 思われて終いである
生きる事は苦しい事だと言うが しかし 他人は他人であり その苦しさの度合いは 本人しか 知りえない どんなにうらやましく 他人から見えていたとしても 本人は生きる事が苦しいと思っている かも知れない 金持ちであっても 家族構成に問題があるかも知れない
普通の生活では出会う事のなかった経験は宝だ 他人がどのように思うかは他人次第であり 本人がどのように思っているのかが重要なのであり 直接本人に聞かない限りはわからない事である 今この時点で生きているという事は 何かしらの意味があるのであり 生きるという苦しさを乗り超えた証である
遊んでいた あの頃にしか 出会えなかったものもあり ありえない 経験も 危険と隣り合わせの仕事も 後悔など これっぽちもない筈である もちろん あの時 遊ばないで 勉強しておけば 良かった そのように 感じる事もあるだろう けれど 遊んだのは 自分だと 納得できているであろう
本人に 『何で 遊んでたの??』 直接 聞けばいいところを いつまでも ネチネチと 嫌がらせしたなら もう いい加減に していただけますか・? そのように言われて 両者の関係は お仕舞いである 遊んだ過去とは 本人は 別に悪いとも 思っていないと思う
生きるための勉強 お勉強が出来る 大学生も 出来ない 大学生も そんな事は どちらでも 構わない 何故なら この世は 本人次第なのだから 遊びたかった頃に 遊んでしまった過去 そのような事も どうでもいい 遊びたかったのは 本人だし それに のめり込んだのも 本人 なのだから