洞山禅師は「切」の一字によって生の一大事を語っている 「切」は、切る、すなわち時間を切る、つまりこの一瞬の生の煌めきを示唆しているように思われる 気持ちが良くハッピーな時だけが「切」なのではない 受け入れ難い苦しい時であっても「切」だと感得できるのは、人間力(悟り)のなせる業だ
吾常於此切(ごじょうおしせつ) 洞山良价禅師の言葉である 吾、常に、此処に於いて切なり と読んでいる この「切」というのが只ならぬ一字であるように思われる 痛切、大切、親切などという言葉がある 何かが切羽詰まっている 今ここの生は、それがどんな状況にあろうとも、かけがえのない生だ