洞山 VISION
洞山良价(とうざん りょうかい)禅師(807-869)は、中国唐代の人で、曹洞宗の祖である。まことに真面目一徹な人であったところなど、道元禅師にも通ずるところがあるように思われる。暗い影をもった弟子たちに(自らがそうであっただけに)限りない愛情を注いだということだ。その指導は懇切丁寧を極めたものであったらしい。そんな洞山禅師の問答である。
ある僧が洞山に問うた。
「寒さ暑さがやってきた時、どのようにそれを回避したらよいのですか?」
「寒さ暑さのないところに行ったらよかろう」
「寒さ暑さのないところとは、どういうところですか?」
「寒い時はひたすら寒い、暑いときはひたすら暑いという、そういうところじゃ」
(碧巖録第四十三則・洞山無寒暑 原漢文を拙訳したものです)
最後の部分の原文(書き下し)は、
「寒時は闍梨を寒殺し、熱時は闍梨を熱殺す」である。
「闍梨(じゃり)」は、僧にたいする敬称。
「寒殺」、「熱殺」と言うときの「殺」は、殺すという意味ではなく、意味を強めるための助辞である。しかし「殺」によって、意味はいやが上にも強まっているように感じられる。
この公案は、単に寒い・暑いということに留まらない、生の実存に迫る恐ろしい問題であるように思われる。避けることのできない命の生々しい現場が目前に突きつけられている。
辛く苦しい耐え難い事態に直面したときに、人は一体どう対処したらよいのだろうか。
あるいはそこまで行かなくても、物事が思う通りに運ばないとき、イライラするとき、ストレスに悩まされるとき、憂鬱な気分に落ち込むとき、どうしたらよいだろうか。酒をあおってその場を忘れるというのも一法かもしれない。しかしドラッグにまで手を出しては取り返しがつかなくなってしまう。
これは禅の問題なのである。生老病死の苦しみは避けることができない。それならむしろ、それに正面から向き合って、真っ向から受け止めてみたらどうなのだろう、という話である。これは実に容易ならざる問題だろう。
しかし、忌み嫌って避けようとしていた時に、恐怖の対象であったものが、その中に思い切って飛び込んでみたら、意外に大したものではなかった、突き抜けてみたら、予想に反して別世界の風光が広がっていた、ということになりはしまいか。
うまいことを言う人がいるもので、瞑想は、escape(外に逃げること)ではなく、in-scape(内に逃げること)なのだという。(ちなみに、inscapeの正式な意味は、「物事の本質」というほどの意味) これが「寒さ暑さのないところ」の正体なのではないだろうか。
この「洞山無寒暑」の公案に対して、後の時代に、黄龍悟新禅師という人は次のようなコメントを付した。
「安禅は必ずしも山水を須(もち)いず、心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」
信長の焼き討ちに遭ったとき、甲斐の快川紹喜(かいせん じょうき)国師は、上の偈を唱えながら、弟子たちと共に火定に入って亡くなったということだ。しかしこれはあまりにも超人的な振る舞いのように思える。私なら熱くて泣き叫ぶ他はないだろう。
「寒時は闍梨を寒殺し、熱時は闍梨を熱殺す」に対して、白隠禅師は、次のようにコメントしている。
「雲門、臨済モ舌ヲ出スヨウナ語ジャ。讃嘆ノ外ハナイ」
さすがの白隠さんも舌を巻きますか。
良寛さんは、新潟で大地震があって何千人もの死傷者が出たとき、親戚の人に宛てて見舞いの手紙を書いた。
さすがは曹洞宗の尊宿、「寒時は闍梨を寒殺し、熱時は闍梨を熱殺す」の端的を見事に言い表しているように思う。
曰く、
「親類中、死人もなくめでたく候
しかし、災難に逢(あ)う時節には、災難に逢うがよろしく候
死ぬ時節には、死ぬがよく候
是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」