大永3年(1523)8月10日は毛利元就が甥の死去を受けて家督を継ぎ吉田郡山城に入った日。兄興元の後継者の甥幸松丸が9歳で死去したため重臣の推挙で分家の元就が家督を継いだ。希代の策略家として知られる元就は大内氏や尼子氏という巨大な勢力に挟まれた一国人領主から中国地方の覇者となる。
永正14年(1517)10月22日は毛利元就が初陣で劣勢を覆し有田城を攻める武田元繁を討った日。元就の兄興元が前年に急死し動揺の隙を突いた元繁が有田城を包囲した。元就は兄の幼い嫡男・幸松丸を助け参陣して後に西の桶狭間と呼ばれる戦いに勝利した。幸松丸が9歳で亡くなると家督を継いだ。