アメリカは自由じゃないよという動画を最近よく観る。色んな規制が厳しく、趣味や服装までもパブリックに合わせないとヒンシュクを買う等、自由の国の看板とは?と思われる内容だ。人種差別も著しく、政治をお題にディベートやると喧嘩になる等、兎に角固められたお国柄、といったとこだろうか。
日本が素晴らしい国と騒ぎ立てるとつくづくシラケる。愛国心と国を是々非々に見る事は決して矛盾しない。教育と一緒で、教え子の良いトコと悪いトコと併行して見なくてはならない。つまり日本保守党は日本の歴史を手放しで褒めちぎる
ひたすら学ぶって神経削るくらいの負担だったな。特に受験の時は地獄を体感した。何が地獄ってやればやるほど成績が下がっていくし、解ってた事が解らなくなっていく喪失感。きっと優秀な子って余計な悩みの回路が外れてるんだろなってつくづく思った。学ぶって意外と残酷さね。
高橋洋一先生に依ると金融緩和とは左派系の政策という。が、安倍元総理はいち早くその重要性に気づき、右派左派の垣根を越えてその政策を取り入れた。そこが安倍元総理の慧眼といっても過言ではないだろう。マイルドなインフレの意義は失業率との相関関係によるもので、ある程度の物価高は必要だという
数学教えてくれた先生は論証とは何かいつも口酸っぱく語っておられた。数学が好きと言えるのはそのときだったかもしれない。兎に角入試で先生に教わった事を出し切ろう!と本番でも思えたのは大きい。僕は物理をメインに主に解き続けて、結局入ってからは違う畑に移ったんだけど、良かったのかな。
旧優生保護法や治安維持法等国の暗黒面を知った上で、それでも我国は素晴らしいと喧伝するのは最早自己暗示に過ぎない。国は捻じ曲げる事も平然とする。だから日本は絶えず事実を記録し続け、未来の検証を待たねばならない。
日本が素晴らしい国と喧伝するのは構わないが、事実は事実として述べないと、歴史を各国の調査を交えて多角的に議論する本来のアプローチはむつかしいだろう。慰安婦問題や処理水等、日本として言うべき事は勿論言うべきだし、国というのは闇と光を抱えたものだ。
自分の声って客観的に聴いた事ってあるか?例えば普段の会話を録音して改めて聴いた事はあろうか、という問いにはそれは一回か二回はあると応えられると思う。ちな自分の場合は余りに声がジャガイモみたいな雑な発声で、改めてレコード聴いて虚しくなった事はある。声が綺麗な人に憧れるね。