ゼロよりも一の方がいいとはよく聞く。ただ、百無いと無理な状況に対してはどちらも同じである 小さな善を大切にというのはその通りだが、大きい悪循環を止められていないという事実は顧みる必要はある 自分が正しかったという自己満足だけを目指しては現実の社会の問題は何も解決しないと思う
みんなで憲法違反を犯せば怖くない.大衆化社会の恐ろしさは責任感も道徳心もすべて溶かしてしまうことだと思う しかも一度、責任放棄の楽を覚えてしまうと責任が持てるようになるのはとても困難である 簡単には直せないのに壊すことは簡単にできてしまう。無責任の病理の治療は困難を極める
共通の現実がどんどんなくなっていく中で自分には何ができるだろうか? 土地を切り開き、環境と居場所を構築することは今の時代でも可能だろうか? 今の日本に現実をごまかさず、現実を踏みしめて生きられる場所はないのではないかと思う 無いなら、作るなり取り戻すなり行動しなくてはならない
危機が現実にならなくても、危機を意識する気持ちで大勢が団結し共助や道徳心を鍛えることに繋がるから。危機への意識はとても大事だと思う 起きなかったからと私って損になるという考え方は命よりもお金を優先している良くない感覚だ。 命の感覚が国民に身に着けようとしないことも国の責任で問題だ