慶長10年(1605)9月20日は土佐藩主の山内一豊が高知城で死去した日。一豊は秀吉のもとで武功をあげて出世した。関ヶ原合戦では東軍として参陣し土佐一国を与えられた。合戦前の小山評定において去就に迷う諸将の中で真っ先に居城の掛川城を提供する発言が家康を喜ばせたという逸話が残る。