もし2013年にオリンピック・パラリンピックを招致していなければ、私はその翌年に国内を出て海外で暮らすように舵を切っていただろう。なぜならば、その時は名ばかりの既卒3年以内の枠組みからも外れて就職自体がそもそも不可能だったからだ。この国にいても希望は持てないと判断していただろう。