日本国民に大きな負担を強いるのは、政府も保守も変わらないのでは?と思う 政府は苦しくても働けと、働かないなら死んでしまえという無茶ぶりを強いているし、保守は国民は無知だから悪いのだと、もっと学べ学べと言う 国民を下に見る気はないが、負担に思われていたら、人はついてきにくいと思う
新自由主義の社会は人間に強さを必然的に求め、弱い状態でいることを許さない社会のさえ感じる 弱者に居場所はなく、強者はどこまでも都合のいい構造を作り出せてしまう 規制の緩和は強者を助け、弱者を苦しめる方向に力添えする結果になってしまった 弱者を助けるためには逆の不自由が必要と考える
現実にはあり得がたいと思うが「力や強さをピンポイントで否定・破壊できる方法」があればいいと時々思う 過ぎた力、個人で最強になれてしまうことが人間の驕りを加速させて、醜悪な方向に至りやすくしていると思う 驕りを抑える謙虚さの価値を示せればと考える
個人で多大な力が得られる世界というのはよく倫理観がぶっ壊れていたり、非道な発想が散見しているのが多い気がする 力で何でもねじ伏せれてしまう世界で弱者を助ける倫理を期待するのは望み薄と何となく感じる 弱者を守れれるようになるためには個人が持てる力の制限や壊せる隙が欲しいと思う
環境を変えるには具体的なビジョンを持つことが大切か ビジョン構築のヒントになりそうなものを取り上げてみる 松居さんの語る幼児像。日本の縄文時代。合理では成立しえない信頼というもの 不自由の中で感じる幸せ。下がさらに下を支える構造 弱い人を支えることを最優先目的とするべきだと思う