冬至。寒くなると毛がモジャモジャ時代のジーク太郎とフリート新之助がいてくれたら、とつくづく思う。今日はとても寂しい方に気持ちがふれている。
毎日小さな一歩と思ってこの3ヶ月暮らしている。今朝も一つ。ほんの小さなことばかりなのだけど、それでも目的を少しずつ進めば新たな未来の展開を待てるからと信じて。 ジーク太郎、フリート新之助、ありがとうね。
毎日嫌な気持ちを抱えながらもそらねりにスッキリと目覚められる。ありがたい。 ジーク太郎が隣にいない寂しさは増える一方だけど、その寂しさを生涯抱えて一緒に生きて行こう。ジーク太郎もフリート新之助も本当に心の底から可愛くて賢くて優しくて良い子たちだったからね。ありがとうの感謝だよ。
東京物語のラスト近く、笠智衆が亡くなった妻の東山千栄子のことを、気が利かない奴だったがもっと大事にしたら良かったというけど、私もジーク太郎をもっと可愛がれば良かったと思う、心の底から。両親ももっと大事にしたかった。フリート新之助ももっと大切にしたかった。
今日、半分意識を飛ばしながら昼休みに横になっていたら頭の向こう側を誰かが歩く感覚があった。間違いなくジーク太郎とフリート新之助だろう。仕事中もふと、彼らが傍にいる感覚がある。私の感覚は正しいと思う。
フリート新之助の癌の闘病時代から隣の部屋の明るめの照明をつけて寝ていてけど、やっと先週からたりから照明なしで寝るようになってきた。でも私の気持ちの中では前よりもはっきりとジーク太郎とフリート新之助の存在を感じるんだな。いつも一緒にいてくれると。
母は最後の17年半の多くをジーク太郎とフリート新之助と一緒で幸せだったと思う。出会いは84歳になる手前の83歳。コロナがあったけど、グループホームにも恵まれた。ジーク太郎とフリート新之助も苦しむ時間は最低限のよい犬生だった。現状、私の最後の片割れのジーク太郎、頑張った。有難う😊
今朝友達に送付したコメントから。 良いご家族だと思うわ。 私の記憶の中の子供時代も今も、良い家族の中にいると感じているのは、太郎と新之助といた17年だけかも。我が家は
太郎、元気な姿だけ覚えていて欲しいのね。新之助もそうだった。元気なジーク太郎とフリート新之助兄弟をこ!から毎日と心に浮かべて毎日過ごすね。ありがとうね。
ジーク太郎は弟のフリート新之助と一緒で今幸せだよね?3年7ヶ月ぶりだものね?ゆっくり楽しんでね。 おばあちゃんよ今朝は食べ切って少し良いみたい。ありがとうね。
そして、前日には昼休みに外出してら帰ったら、ちょこんと向こう側の外を見る体制で、本当に久しぶりにお座りしていてくれた。調子が良いのだと思っていた。翌日の食欲といい、最後の夜に4回寝場所を変えた事もはっきり覚えているけど、本当に調子が良かったのだろう。その意味を考えてしまう。
ジーク太郎とフリート新之助との生活は本当に色々なことに気づかせてくれました。感謝しかない。まず、私達よりも寿命が短いから、老いについて教えてくれた。前向きなら生き方についても教えてくれた。
感覚的なものだから説明は出来ないけど、ジーク太郎はフリート新之助と一緒に、私にこの方向でこれからの人生を進んで欲しいと示してくれていたのだと思う。私は彼らの気持ちに添いたい。それは私自身の意思でもあるし、彼らのことを思うと悲しさはなく、心の中の充実感を感じるからだ。信じるべきだと
そして更に、前日に見た夢の、フリート新之助と一緒に赤坂のディスコに行く夢と、最後の朝に見た、ジーク太郎とフリート新之助とともに赤羽にあるグーフォに行く夢。楽しかった。きっとジーク太郎も楽しかったのだと思う。フリート新之助がジーク太郎を迎えに来ていたのかな?一緒に食べたからペロリ。
それにしても最後の日の朝に、岩手の卵のゆで卵の黄身からウマキチの100グラムのレトルトから小岩井ヨーグルトまでしっかり食べてその数時間後に亡くなった意味は何なのだろう?その前日、前々日には液体総合食しか口にしなかったのに。私を安心させたかったとしか思えない。ありがとう。
フリート新之助が亡くなった時は何を見ても思い出してただ辛いだけだったのに、ジーク太郎の時には更に絆が強まったのではないかという感覚があるのは何故なのだろうか?常にすぐ近くにいてくれる感しかない。本当にそうなのだろう。母を守って欲しい。それだけだ。
ジーク太郎とフリート新之助とは、17年以上の長きに渡る色々な楽しい思い出がある。沢山の人に助けてももらった。この地域の道もわかるようになった。高円寺まではよく行ったし、練馬駅の向こう側の父の墓参りもジーク太郎が大好きだった。何よりも母と私の気持ちに寄り添ってくれた。ありがとう😊
昨日でジーク太郎と一緒に買ったキャベツを食べ切った。寂しいけどこれからは全てがうまく行くよ鰻感覚には変わりがない。毎日世界で一番愛してるよ、と太郎に伝えていたけど、それはこれからも変わらないよ。ありがとうね。優しくて強くて。貴方の思いやりは忘れないよ。
ジーク太郎は最後の家族で、ジーク太郎本人にも貴方がいなくなったら死んじゃうよ、と自分で言っていた割には然程涙も出ていない。フリート新之助の時の方が泣いた。どうしてかなぁ。思ったよりもはやく召されたけど、内心私自身が一番わかっていたのかなぁ。
私は2023年9月16日土曜日朝4時44分のこの時間を生涯大切にしたい。1998年に赤羽に引っ越した時に繋がる何かを感じるから。シドニーとロンドンに行った時と同じ何かを感じるから。そしてこれが私にとっての本当の意味での最後のスタートになると感じるから。ジーク太郎、ありがとうね。
13日前に亡くなったジーク太郎。その日からジーク太郎とフリート新之助のことを同じくらい考えるようになった。きっと仲良く兄弟で楽しくやってるのだろう。お母さん、お父さんに仲良しのマナちゃんやアイボちゃんとも、そして私の父とも遊びながら綺麗な場所で。
あと、不思議なのが、新之助が亡くなったあとは何を見ても新之助を思い出して悲しくなったのだけど、今回は何を見ても、帰って太郎と新之助との一体感を感じるのよね。だから沢山楽しかった事を思い出してる。
フリート新之助の夢を見た。 3年前の1月に亡くなった愛嬌満点のフリート新之助の夢を見た。楽しかった。一緒に赤坂のディスコに行く夢だったけど、実際にやっていたのは赤坂見附駅に近いトイレに行っただけ。背も高くて常に7キロ以上あった真っ黒なトイプードル、格好良かった。今日は良い日也。
母が不調。本来ならジーク太郎と行くはずの訪問、結果的に前回まで会っていた一階玄関まで母を車椅子で下ろすのではなくて初めて母の部屋へ。私を見て喜んでまた来るねと言ったら嬉しそうに頷いてさいたけれども。太郎と新之助に守ってほしい。父と一緒に。
今日はジーク太郎とフリート新之助が使ったシャンプーとリンスを私が使いました。