可能性を信じられるとは、好きなことが世の中に喜びを与えると信じてやないこと。だが人は枠にハメられて生きていくことを教えられてしまったから、可能性を信じていない思考になっている。7世代先の子供たちに、どの世界の常識を与えたいのかと考えると、自ずと答えとプロセスが見えてくるもの。
皆がやってるからと、人の選択に乗った考えの人が多く、なぜ、そのなのか?という分析検証をしない。なぜなら本音で生きることを抑圧された教育環境だったからなのだろう。だから全体をみようとしない。本音には無限の才能を発揮し、自発的に自律した人財へとなり、組織そのものが変わるのにね。