いじめられる側が悪いのか
いじめをきっかけに不登校になり、
鬱になったユーザー(インフルエンサー)をネットで見た。
私はその方のことを深く存じ上げないが、
「鬱に理解を深めたい」と名言して活動しているのは見たことがある。
私自身は所謂「生徒同士のいじめ」に関与したことがない。
学校が恵まれていたのか、本当はいじめは存在してたけど私が気付かなかったのか、よくわからないが特に見かけたことがない。
でも大人になったいじめ被害当事者とは何人か接したことがある。
学生時代に、アニメ映画「聲の形」という作品をリアルタイムで鑑賞したことがあった。
シナリオ自体には号泣したが、
肝心のいじめ問題自体には現実味がなく、あんまり共感できなかった。
で、いじめ問題を聞くたび
「いじめられる側にも問題がある」という言葉を思い出す。
いじめレベルに相当するのかわからないけど生徒同士ののイザコザとかは私もあった。
印象深いのは当時流行ったブログに名前こそ明確に示していないものの、「私しか該当しない」と思える人物について、嫌っている部分を長々と羅列されている記事が公開された。
多分それがインターネットをしていて初めて受けた誹謗中傷かと思う。
あの時は視界がグラグラに揺れて泣き崩れた記憶がある。
必死に自分に対して言い訳をしていたし、相手の性格の悪さを心の中で批難したりもした。
ただ、今思うと
それはネガティブ自分を初めて文字として可視化されたものだったから、ショックなリアクションとしては相手を恨んだことは間違ってなかったと思う。
だからと言って、それが何回も続くようであれば話は別になると思ってる。
また自分を例に挙げることになるが(自分語りスマン)、
インターネットで仲が良いと思っていた方に、DMで私の性格について長々とここが嫌いだった、みたいな文章を直接送られたことがあった。
内容ははっきり覚えてないけど、その時も「自分が攻撃された」と被害者意識を持った記憶がある。
インターネット上での中傷は別に他にもあったが、そちらのほうは匿名で難癖のようなものが多く、外野に事実と異なることを言われているだけでそこまで気にしていなかったほうかと思う。
だからこそ、「自分」を知っている人たちから性格を批難されることのほうが辛かった。
これらが一概に「いじめ問題」に関連するかどうかわからないが、私が同世代間で被害者になったと感じたのはこれくらいだ。
で、「いじめられる側にも問題がある」ってことをたまに思い出す。
この発言に対して、否定的な意見を多く見掛けることがある。
「いじめられる側がどうして批難されるのか」
「隔離して矯正すべきはいじめる側」
わからないでもない。
アニメ映画の「聲の形」でも、主人公やヒロインは人として欠けてしまった部分を更に抉られるような仕打ちを受け、その環境から離れていった。
いじめられる側のどこに非があったか、例を挙げると
私が小学校の頃、学年で1人だけ坊主頭の男の子がいた。
(いじめかどうかグレーゾーンのケースではあるけど)
その子は廊下で集団で軽く蹴られて遊ばれていたり、家庭事情の噂を広められたりと、情報だけ聞くといじめのようなことをされていた。
しかし、当人の発言としては「僕はマゾだからみんなにイジられるが楽しい」と言って、廊下で蹴られてケラケラ笑っていたり、「僕の家はお金持ちで1人ずつパソコンを所持している、お小遣いは万単位で貰っている」等と、抜けた歯をニコニコさせながら色んな人に話していたらしい。
それを聞くといじめかどうか、申し訳ないが判断がつかなかった。
まず集団生活において家庭事情を自分から発信していたなら噂になっても被害者になりうるのかという疑問があった。
彼とは直接会話をしたことはないが、
小学生とはいえなかなか空気が読めないというか、すれ違いざまに会話を聞いていても「ん?」と思うことが多かった。
また体臭が強いなど、嫌悪感を抱かざるを得ない点など、私だったら(申し訳ないけど)ちょっと友達になりたくないと思う点があった。
人間は若ければ若いほど自分の心情を明かすための語彙が少なく、
小学生ともなれば相手に「注意する」ことが、相手に伝わらずいじめへエスカレートしているケースもあるかと思う。
もしかしたらそういうパターンだったのかもしれない。
映画「聲の形」に関しても、私がいじめ被害に共感出来なかったのは冒頭で「支援学校に入れよ」みたいなセリフがあったからだ。
私も正直そう思った。
もしかしたら家庭の事情でそういった学級に入れなかった、みたいな描写があったかもしれない(忘れた)が、「理不尽ないじめ」に該当するかというと、まず前提として集団生活のしづらさから生徒のストレスが溜まるのは一目瞭然かなと思う。
それがいじめをしていい理由として妥当だとは思わないが、やや理不尽性に欠けると思う。
また、主人公がいじめる側からいじめられる側になったのも、「いじめの前科がある奴だから、やられる前にやる」みたいな心理になる学生がいるのもわからなくはない。
理不尽性のあるいじめで言うとまたフィクションの話になってしまうけど漫画家の押切蓮介氏の「ミスミソウ」等が挙げられるかと思う。
主人公はただ都会から転校してきた、美人だった、クラスのリーダー格と相容れなかった、それだけでクラス内でいじめに遭い、家を焼かれた。
いじめに遭う人に共通点はないと思う。
美人でも不細工でも、外国人でもハーフでも変わり者でも勉強が出来ても出来なくても誰でも遭うと思う。
そういった理不尽性のあるいじめで言うと、嫉妬心からくるものだったりする。
いじめられる側にも原因はある。
ただその原因は、本人自体に非がない場合もある。
何かしら要素があっていじめられているのであって、それを言葉として表現出来ない多感な時期の子どもが攻撃に走り、いじめられた側は被害者として一生引きずる子どもが出来るんだと思う。
一番身近な人でいうと、
私の父が学生時代いじめられていた
というのはよく聞いていた話だった。
父は家庭の事情で小学校を一学年ごとに転校し、その度にいじめられるから、力で勝てない代わりに勉強で頑張って見返そうと思ったとのことで、
最終的に東京大学にストレートで入学し、医師になった。
という話を配偶者にしたところ、「確かにいじめられてそう」とのことだった。
理由を聞いたところ「色白でいかにもガリ勉で、気弱そうでいじめられやすそうなタイプ」とのこと
(配偶者はいじめ加害者では無い)
学年が上がって学校が変わる毎にいじめられるというのは、相当何かしら本人に問題がないとおかしいと私は思った。
父とは殆ど接点が無かったためずっと不思議だったが、
私が去年うつ病になり入院したことをきっかけに関わる機会が増えて、そこで理解した。
鬱でまともに受け答え出来ない状態の中、本人は自覚していないが、平気で人を貶め、傷付けるような発言をされた。
学生時の父のことはわからないが多分、高圧的であったり人を見下す態度をとること、相手を慮ることもなければ、自分勝手に振る舞うことが人を傷付けたりイラつかせたりする要因になっているのかと思う。
私が少し回復したあたりで、父に「ああいった物言いはよくないと思う」とLINEを入れたところ、
「お前も母親と同じ境界性パーソナリティ障害だったのか」と返信された。
私の母は父に対して言葉選び諸々色んな生活の困り事を注意してきたが、当人としては「攻撃された」という意識しかなく、その内容に関しては全く頭に入っていないようだった。
最終的に母を人格障害と決めつけた。現在は離婚している。
被害者意識がかなり強く、
「俺は正しいことを言ってるだけなのに周りが勝手に口汚くなる」「人格障害だから仕方ない」と自分を正当化しようとする発言が多い。
私がうつ病になった要因で言うと父の存在がかなり大きいのだけど、それを説明したところで理解されず、結局最後まで謝罪を引き出せなかった。
思えば自分の周りのいじめ被害者もそういうケースが多い。
土台からして人を怒らせてしまう性格なのか、いじめられたことによって性格が歪んでしまったのかはよくわからない。
ただ、いじめられた過去があるから何でも言っていいと言う訳では無い。
私が冒頭に書いた、いじめをきっかけに鬱になったユーザー(インフルエンサー)を見ても、色々と思うことがあった。
私自身は生徒間のいじめ当事者では無いと書いたが、
教員からのいじめはあった。
家庭事情や容姿のいじり、罵倒、体罰、無視、晒し上げなどあったが、クラスメイトはわかっていて尚黙認していた。
庇ったら同じように晒しあげられてしまう可能性があったから、それはそれで仕方ないと思う。
噂には聞いていたが、PTAに参加しない親を持つ生徒をいじめることが多かったようで、ネットに恨みつらみが書き込まれた掲示板があった(今は探しても見つからない)
小学生を卒業して15年程経っても夢に出てきては叩かれたり怒鳴られたり等、夢でのフラッシュバックを起こしていた。
私はそれも鬱になった要因の一つであると思っている。
何故そのような仕打ちをしたのか、死ぬ前に一矢報いるくらいの気持ちで本人に連絡をしたことがある。
件の教員は電話に出た。
電話口の声は紛れもなく本人のものだったが、かなり老け込んでいた。
数年前に定年で教壇を降りたとのことだった。
でも私のことはなんとなく覚えているようだった。
当時のことを説明すると、
他の生徒にも似たようなことをした記憶があると言っていた。
私からは現在の状況を説明した。
そして
「何故あの時ああいった行動をとったのか」
「身内にも教員がいる、プレッシャーやストレスが溜まるのは知っていて、大変だったかと思う、でも何故私だったのか」
と聞いた。
クラスメイトが黙認していたことと、
ネットに掲示板があったことを証拠として提示した。
私としては正直に、
どんくさかったから。
何度注意しても忘れ物をするから。
何となく、目立っていたから。
親が学校に顔を出さないから都合が良かった。
など、何かしら言われれば反論したかと思う。
教員に対してこれまで溜まってきた思いの丈を
存分に晴らしたかと思う。
ただ、その教員が言ったのは
「ごめんなさい、詳細は覚えてないの」
「ただ、色んな生徒を叩いたのは覚えてる」
「そんなこと言ったの、どうしてだろう」
「どうしてそんな事しちゃったんだろう」
「私はどうやったら貴女に償える?」
と言われた。
呆れてものも言えなかった。
覚えてない謝罪というのはこうも中身がないのかと思った。
寧ろ罪悪感を抱くことが老い先短い人生の償いになると思ったので、
償いは必要ないと告げたところ、最後に
「これで前を向いて生きていける?」
と涙ながらに言われた。えぇ…
私はこの教員を前に涙したことで、泣けば許されるのかと何度も殴られたのに、
この教員は泣いても許されようとしてるのか〜なんて頭をよぎったりした。
正直、前を向いて生きるかどうかは私が決めることであって
今更泣いて中身のない謝罪でチャラになるはずがない
なので何となくなあなあにして電話を切った。
もう連絡するつもりはない。
私自身、発達障害や愛着障害もあって中々手の焼ける子どもだったと思う。
変わり者で、扱いづらかったと思う。
だからこそ土台から改善したかったし、意見を聞きたかった。
私は言われないとわからないから、人として何が欠如しているのか、どう振る舞うのがベストなのか教えてくれればそれに乗っ取ればいいだけの話だった。
けど件の教員は指導どころか記憶になかった。
だから何も改善出来なかった。
私はいじめられる側に問題が必ずしもないとは思わない。
100%理不尽な理由もあると思うが、
いじめ関係無く被害に遭ったら、言われて不快にさせた部分は治せば言われなくなるんじゃないかと思っている。(理不尽な要求じゃなければね)
だから、何年かかってもいいから
人生のトラウマとなった人に聞いてみるのもアリかと思っている。
ただ、ヒトには「話の通じる人間」と「話の通じない人間」がいて、
後者の場合冷静に話し合えない場合が多い。
特に親子関係であったり、精神的余裕のない人であれば尚更だと思う。
また、いじめる側にも加害意識が薄いことが多いと思うので
「〇〇があったことで私はいじめられたと感じた、ちなみに〇〇になったのはこういう環境要因があった」
と伝えるだけでその人の見方も変わるかと思う。
実際いじめに遭ったことのある人は、守りに徹する余り攻撃的または依存的になってしまっていることが多い。
そうして攻撃した先からは大体更に強い攻撃で返ってくる。
それがその人の生きづらさを助長させているんじゃないのかと思うことがある。
いじめにより、攻撃的になってしまい自分が加害側になっていることに気付けず、
「自分はそんなことを言われるほど酷い人間なのか」と考える人もいるかと思うが、
私が見てきた人の中ではそれ相応のことをしてきた人が多い。
周りは注意で言っているつもりでも、「人格否定された」と被害意識だけを募らせ、攻撃で反撃し、
結局何も改善されないまま大人になってしまって拗らせている人が多いイメージ
(私の視野ではね)
いじめ被害者にとっての
被害意識と加害意識というのは
シーソーのようになっていると思っていて、
被害者は「自分がこれだけ被害を受けたからこれだけ救われても良い」
と免罪符を掲げて周りに加害を振りまいていることが多い。
(自戒を込めて書いている)
世の中誰だって被害者であり加害者だ。
先生や友達や同僚の悪口を言ったことの無い、聖人君子のような人はまあまず存在しないと思ってる。
腹が立った時は、まず衝動を抑えて相手の立場に立って考えるために一呼吸置くことも大切かもしれない。
ってそんなことが出来たら世界中が平和なんですけどねー!!!!!🤪
まあ、コミュニケーションにおいて正解なんて存在しないと思ってる。
だから異論は勿論認めます。
私がすぐ受け入れられるかどうかは別だけどね!
以上です。