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問題の先延ばし

 自宅アパートのクーラーから変な水音がする。調べてみると、汚れがたまっていることが原因なのではないか、とある。

 確かにしばらく掃除もしていない。放っておけば汚水が逆流するかもしれない。しかし夜に今から掃除というのも気が引ける。いつ掃除ができるのかはまだわからない。これは問題の先延ばしなのだろうか……


 問題の先延ばしといえば、思い出すことがある。

 大学時代、私の周りには留年する者が何人かいた。彼らは言う。

「留年するやつは、期末のテストの時点で自分が留年するかどうかは、わかっている」

 彼らは、一縷の望みをかけてテストに臨むのだが、手ごたえを感じることなどそうそうあるものではない。

 彼らはテストが終わると同時に実家に引きこもる。そして保護者よりも早く、留年の通知が入った成績表を回収するという作業がはじまるのだという。

 彼らはこの際に、「もしかしたら、お情けで進級できているかもしれない」と希望を抱いて、封筒を開けて、入っている留年の通知に、心を砕かれる。この様子を彼らは「成績表クライシス」と呼ぶ。

 ちなみに、私の通っていた大学は成績表には「進級」か「留級」かどちらかの通知が入っている。この「留級」と書かれた成績表のことを彼らは「沖縄旅行のチケット」と呼んでいた。一年間のモラトリアムを満喫するらしい。

 保護者に問題を隠すという点もそうだし、そもそも留年してしまう、やばい! と思いながらも、その悪い予想を回避できないという点もそうである。先に予想される問題に気が付いているのに、対処できない。問題の先延ばしであるのは、もちろんだが真摯さというものにも欠ける。

 しかし、私とて偉そうなことは言えない。社会人になってから、業務で先延ばしにすることなど日常茶飯事である。しかし問題を先延ばしにすれば、悲しいかなその後、しっぺ返しがきっちり起こるのである。

 しかし多くの場合は、それに懲りずに問題の先延ばしは、とどまることを知らず。我々の周りに存在し続ける。

 問題の先延ばしに対抗するためには、過去を受け入れて未来を見据え続ける力強さが必要なのかもしれない。

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