小川洋子先生の「海」を読んだからひたすら愛でていくぞ
小川洋子先生が大好きだ。
初めに読んだ作品は「博士の愛した数式」
忘れもしない中学3年生の頃、高校受験のために通っていた学習塾の本棚で見つけた本だった。なぜその本を読んでいたのかはわからなかったが、塾の待合室でのんびりと読んでいたのを覚えている。尊敬していた優しい数学の先生と、本の感想について話していた。その当時は、筆者のことは認知していなかった。
その後、成人してから再び出会うことになった。近所の今はもう閉店してしまったツタヤの本棚で目があったのが「薬指の標本」だった。読書の幅を広げるために、恋愛小説なぞ読んでみようと当てもなく本棚に目線を泳がせていた時のことだった。本の裏表紙には恋愛の痛みと恍惚を描いた・・・と書いてあり、これだと思い購入したのだった。ここから、小川洋子先生に心酔していった。
薬指の標本は好きだし、定期的に読み返しているので、そのうちまた感想文を書いてみようと思う。
ともあれ、今日は「海」を読んだのだった。
具合が悪く、メンタルも悪く、昨日の夕方から今朝まで私はすっかり寝込んでいた。目が覚めても、寝汚く何度も眠りに執着していたが、とうとう横になっていても眠りたいと言う気持ちがすっかりなくなってしまい、何気なく読書が始まった。
初めはオーディブルでも聞こうかと思っていたが、なんとなく手持ち無沙汰だったので、Kindleを開いてみた。だが、頭痛もありスマホの明かりがなんとなく嫌だったので、部屋中に散らばった本を適当に漁り、何冊か枕元に散りばめた。その中の一冊が「海」だった。
「海」は短編集だ。短編集ってとても素敵だ。一冊で違う世界がそれぞれ広がっているから、何冊分も楽しんだ感じがするし、解釈の大部分を読者に委ねてくれる自由な感じもある。でもって、作家の独自のセンスとか言葉選びとか、世界観が如実に表れる感じがする。
そんなわけで、具合が悪いなりにうきうきしながら紙の本をぱらりとめくった。この音はまだ世界から無くなってほしくないな。
海、風薫るウィーンの旅六日間、バタフライ和文タイプライター事務所、銀色のかぎ針、缶入りドロップ、ひよこトラック、ガイド、の7編からなっている。全部の話が好きだけど、特にお気に入りは、バタフライ和文タイプライター事務所、缶入りドロップ、ガイドの3編だ。
表題にもなった海が先陣を切った。この話に出てくるおばあさんの「毒があるかもしれませんからね。十分にご注意なさいまし」ともうここが小川洋子先生っぽい。好きな人ならこの一文で満足ではないですか。
主人公が恋人の実家に挨拶に行くという、現実的な、小川洋子先生っぽくないと、個人的に感じるシチュエーションで面食らったけれど、話に重要でない人物は朧げにふわふわと存在してる感じで、適当な場面でいつの間にか重要人物だけにスポットライトを当てて描かれている辺り、やはり先生の作品なのだと安心した。先生の文章はいつも澄んでいて密やかな色彩の空気が流れている。
風薫るウィーンの旅六日間はユーモラスでこれまた小川洋子先生が好んで描きそうな中年女性が描かれている。既視感があると思ったら、六角形の小部屋にも登場していたからかもしれない。密やかな空間を描くのが得意なので、養老院の描写は、やはり静かに美しかった。
バタフライ和文タイプライター事務所だ、これは好きな人多いんじゃなかろうか。薬指の標本や密やかな結晶が好きな人には、もれなくこの一編もお気に召すことを保証する。糜爛、睾丸、膣が謎めいた活字管理人に労られ、優しく扱われる。それぞれの文字への丁寧でどこかセクシャルな眼差し。タイトルにもなったタイプライター事務所の名称の由来そのものが小川ワールド感あるなぁって。気になる人は是非読んでみてほしい。
銀色のかぎ針、缶入りドロップは2編合わせても10ページを超えないくらいだったのではないだろうか。本当に小さな物語だけれど、この数ページでも小川洋子感が漂っていている。その人が持つ固有の文体がなせる技だろうか。いつか自分にもこう言う物語が書けるのだろうか。缶入りドロップは優しい話で私もいつかやってみたいなと思う。某缶入りドロップスは廃盤になってしまったけど。
ひよこトラックはトラックの無機質さと、人のエゴによって生まれた儚いカラフルひよこが対照的に描かれていて、農道を走っていく様はどこかユーモラスな印象を感じた。
ガイドに出てくるおじいさんは、いかにも小川洋子先生の世界で生きている人そのものだ。物語が展開される街も、日本のような日本ではないどこか異国のような、昔話のような現代のような、朧げな感じが、この雰囲気が好きなんだよな。
そして、おじいさんといえば、もちろん少年が相棒として登場してくる。少年の奮闘ぶりと、おじいさんと心を通わせていく描写が荒んだ心に潤いをもたらしてくれる。人間の精神的な美しさに触れることができる魅力的な作品だ。
感想は冷めないうちに書くのがいいなぁ、と読後数日経ってから反省した。また、再読した際に過去の自分を思い出せるように一応残しておこう。