【橋本浪漫飛行】訪問記⑥橋本湯-旧橋本遊郭
昭和4年創業。「中の写真も撮るか」と声をかけて下さる気さくな主人は三代目。八幡市の中で唯一残っている銭湯。昔ながらのボイラーで湯を沸かしている。ライフスタイルが変化してしまい、客は減少し、採算が合わないと苦い顔で語られた。
昔は、渡し船でたくさん人がやってきた。当時は水道が通ってなかったので繁盛していた。遊女もここの銭湯を使用していた。
橋本にはもう一件銭湯があったが現在は空き地になっている。
ボイラー室
営業前に薪をたき、お湯を沸かす。営業後は清掃。就寝は四時~五時頃になるそうだ。
昭和20年頃は、農業用の牛が道を通っていた。時々に道にフン落ちている。 昔は駅の反対側は山で、ゲンジ(ノコギリクワガタ)がよくとれた。
駅から大阪側へ歩いて行く道は薮で、現在橋本小学校がある場所は大きな池だった。農業用用水として使用されていた。
正月は渡し船の客がいっぱいで、石清水八幡宮への参拝客でにぎわい、帰りに遊郭へ寄る人も多かった。カフェ、パチンコ、ダンスホールなど商店が多くあった。車でものを売りに来ていた。「アイスクリーム♪」とアイスを担いで売る人もいたそうだ。
建物自体は大正の終わり頃の建物で、一代目は岐阜出身。京都に出て丁稚奉公をやっていた。
主人は六人兄弟で、主人以外は全員大学出である。主人は病気を負い、大学には行けず、そのまま橋本湯を継ぐことになった。
水道の通っていない時代、水を大量に使うので、家に井戸を三、四個掘り起こした。大きいを使い、年にニ、三回洗った。
当時まだ小学生で遊郭のことはよく知らなかった。大谷川を見て「川に風船が流れてる」と思ったそうな。町の中で鬼ごっこや川原でベースボールをして遊んでいた。隣のうどん屋さんに淀川まで連れて行ってもらでウナギなど釣っていた。 当時の淀川は綺麗だった。