「言葉を探す」旅
日曜日の朝、地元紙を何となく眺めていたら
若松英輔さんの著書紹介記事がふと
目に飛び込んできた
「自分の中に言葉を持つ」と見出しがあったので
「言葉フェチ」の私には、たまらなく
魅力的で
引き寄せられたのかもしれない
新刊「ひとりだと感じたとき
あなたは探していた言葉に出会う」を
紹介しながら
「書くこと」の奥深さを話している
私がいま、健全でいられるのは
「書く」ことを続けてきたからかもしれない。
中学生の頃から
アナウンサーになるのが夢だった。
伝える仕事、表現することが好きだったからだ
運よく、夢が叶い
その仕事についてからというもの
毎日、空けても暮れても
現場に行って取材して、原稿を書いて
放送に携わる毎日は大変だったけれど
それを上回るやりがいを感じていた
そんな私が、子どもを授かったことをきっかけに
仕事で表現することが、叶わなくなってしまった
それから、私は、ほぼ毎日
SNSに文章を書くようになった
「表現していないと死んでしまうから」と
知人たちには笑って説明していたけれど
結構、マジメに!話さなければ、書かなければ
ダメになってしまうんじゃないか
という思いがあった
苦しければ、苦しいほど、私は書いた
心にたまった「ことば」が、澱になって
文字通り、澱んでしまわないように
濁らないように
くすんでしまわないように、書き続けた
若松さんは、その著書の中で
こんなことを書いている
3歳半の息子を伴って、転勤を余儀なくされ
悩んだ日々を綴ったブログ
「ワーキングマザーのススメ」は
当時、製本してくれるサービスがあり
記念に残しておいた
ハードカバーの表紙をめくると
当時の切なくもおかしい日々がよみがえってくる
泊り出張のドタバタや
保育園になじめない息子に戸惑う日々
夕食は電車の中でパンをかじり
会議で他社のカッコいい女性たちに圧倒されたり
苦しかったけど、今、振り返れば、よい思い出だ
ページをめくりながら
若松さんが仰るほどにカッコ良くもないけれど
私は「書くこと」で、救われてきたなぁ・・・と
思う
個人事業主なった今は、とりわけ、救われている
仕事の合間、切れ間にも
思考の切り替えをしたい時も
話すように、書いては
自分を確かめることで心を整えている
書く記事の数と、心に抱えているモヤモヤや苦しさは
実のところ、比例しているなぁと思う
おしゃべりな時は、大抵、悩ましい時だ
可笑しな文章を書くことで
自分を奮い立たせたい時だ
最近、またまた、よく喋ってる(書いてる)私
いつかこんな毎日も
「よい思い出だったなぁ」と
振り返ることが出来ると信じて
さあ、今日も、書こうじゃないか