【鬼滅の刃 名言】桑島慈悟郎から学ぶ、子育てで大事な価値観!
おはようございます。
橋岡克仁です。
このブログで、二度ほど「鬼滅の刃」の名言を書かせてもらっている。
10月16日に映画の公開が決まっており、その前の8月2日に「ABEMAアニメチャンネル」にて映画の新情報が放映されることが決まった。
本邦初公開な予告映像や、主題歌の情報が解禁される予定だ!
アニメにおいても、作画の評価も高く、主題歌も人気度が高く、アニメでは同じオープニングが使われていたほどである。
さて、今回は人気絶頂の漫画「鬼滅の刃」に出てくる桑島慈悟郎に学ぶ、子どもの育て方について書いていく。
鬼滅の刃がどんな漫画であるかは、この記事を参照にして欲しい。
桑島慈悟郎が大事にしている、弟子との関わり3選!
桑島慈悟郎は、雷の呼吸の使い手である我妻善逸の師匠だ。
その師弟関係の修行には、信頼と愛情があって、僕は好きである。
2人のやりとりから、子育てにも通じるものがあると思い、名言を3つピックアップしてみた。
まずは一つ目である。
一つのことしかできないなら、それを極め抜け
引用:「鬼滅の刃」桑島慈悟郎より
善逸は雷の呼吸と呼ばれる技を学ぶも、壱の型しかできなかった。
普通だったら雷の呼吸を全部取得できるように修行させると思うが、桑島慈悟郎は違った。
一つのことだけできないなら、それを極めろと。
人には得意不得意があり、できることとできないことがあると思う。
まさに善逸は壱の型しかできないが、逆に考えるとそれが長所でもある。
自信を持ってその長所を極めろと言える桑島慈悟郎の関わり方は、長所を極めた先に成長できると善逸を信頼してこそだと感じた。
なんでもこなせるようにするよりも、できることを最大限伸ばす子育てのあり方も大事であり、結果的に違うこともできるようになると思う。
子どもの可能性を自分の型に嵌めないように意識しようと、この名言から学べた。
次、二つ目の名言である。
善逸極めろ、泣いていい逃げてもいい、ただ諦めるな!
引用:「鬼滅の刃」桑島慈悟郎より
桑島慈悟郎の素直な気持ちが書かれている台詞だ。
善逸は、常に修行から逃げようとしていた。
善逸自身が修行に堪えて、技の習得ができることを一番無理だと思っていた。
何度も、本当に何度も逃亡しまくっていた。笑
しかし、桑島慈悟郎は逃亡の度に虎視淡々と連れ戻し、修行をつけていた。
善逸ができると信じているからこそ、どんなに逃げても修行を続けられるようにしていた。
この台詞は、師匠の気持ちである。
弟子の力を信じているからこその願いであり、こういう師匠の存在があると自分もあと少しだけと思いながら頑張れると感じた。
ダイエットや筋トレも、一人でやると挫けてしまいそうになるが、できると信じてくれる誰かと約束しながらやると続けることができる。
できると信じてくれている誰かとともにやることの大切さを感じた。
僕も子どもには可能性を信じた子育てをやっていきたいと、この名言から思った。
最後、三つ目の名言だ。
善逸 お前は儂の誇りじゃ
引用:「鬼滅の刃」桑島慈悟郎より
この台詞には、色々な思いが詰まっている。
前回の記事で書いた通り、桑島慈悟郎は亡くなっている。
この場面は善逸が兄弟子である獪岳を倒した時、死を彷徨っていた夢の中で言われた一言である。
色々な厳しい修行を行い、常に成長を促してきた桑島慈悟郎は善逸にとって鬼と同じように見えていたかもしれない。
だが、本当は愛情と信頼があって修行をしていたとわかるのがこの一言である。
今までずっと桑島慈悟郎と修行してきた壱の型と自分でそこから新しく生み出した七の型で、兄弟子との勝負に打ち勝つことができた。
この戦いは桑島慈悟郎と善逸の二人で勝負を決したと言っても過言ではない。
ずっと信じてきた善逸の力が開花した瞬間でもあり、一つの技を極めた先の技を見出して、師匠を超えて成長した瞬間でもある。
だからこそ、桑島慈悟郎は自分の誇りだと素直な気持ちで言えている。
自分の信じてやってきたことがいつ実るのかはわからない。
死んだ後かもしれないが、信じてやってきたことはその人に伝わり、いつか実ると思った。
自分の教えがすぐに実るかはわからないが、できると信じて、できるまで教え続けることを子育てで大事だと学んだ。
さいごに
桑島慈悟郎と善逸の師弟関係は、いつ見ても泣いてしまう。
結末が悲しくて泣いてしまうのもあるが、その過程にある師弟関係に愛情や信頼があるからこそ、見ていて感動してしまう。
愛情のある関係を子どもとも、またこれからできるであろう彼女にもしていきたいと思う。
この名言を見る度に涙腺が崩壊する、橋岡克仁でした。
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