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【自己紹介】無気力なアトツギを「お箸革命」に駆り立てた一言。

私の名前は、山﨑 彰悟(やまさき しょうご)です。
1989(平成元)年7月27日生まれの巳年、獅子座。
趣味は読書とお笑いとプロレス、あと犬が好きです。
フレブルを1匹飼っています。
職業は、株式会社ヤマチクという会社の代表取締役CEOをしております。

株式会社ヤマチクは熊本県南関町で60年以上、「竹の、箸だけ」を作り続けている小さなお箸メーカーです。
「箸」という漢字の部首は「竹冠」、日本のお箸文化は7世紀ごろ竹から始まったと言われています。株式会社ヤマチクは、そんな竹のお箸を専門で作っている日本唯一のお箸メーカーです。
従業員数32名(2025年1月現在)、年間500万膳の竹のお箸を世界中にお届けしています。

実はこの株式会社ヤマチクという会社は、私の家業です。
祖父が創業し、父が社長をしている会社にアトツギとして転がり込みました。



やりたいことですか?特にありません。


私は立命館大学法学部を卒業し、2年ほど大阪にあるIT企業でSEで働きました。
「いずれは家業に戻る」ことが頭にあったためか、大学でも就職活動でも「夢」とか「やりたいこと」が特にありませんでした。法学部を選んだのも「響きがかっこいいから」だし、文系なのにSEになったのも「人事の方が可愛かった」という邪な理由がきっかけでした。それでも大学生活もSEの仕事も、とても楽しい思い出しかありません。
「アトツギ」ということに関しては特に抵抗感もなく、「そういうものだ」と思っていました。でもその家業が「やりたい仕事」だったかといえば、当時はそうでもありませんでした。なんとも可愛げのない、無気力な奴だったと思います。


入社して初めてわかった家業の凄さと危うさ。


私がヤマチクに入社したのは24歳の頃。
当時の従業員数は私を含め15人ほど。その中で私がぶっちぎりで年下でした。
よく「アトツギあるある」として「後継者として入社すると社員さんからやっかみを受けたりする」ということを耳にします。ですが私の時にはそんなことは一切なくみんな温かく迎え入れてくれました。
最初はお箸の製造に携わりました。私は元々手先が不器用なため、仕事を覚えるのには苦労しました。それでも仕事はとても楽しかったです。「自分の手で何かを生み出している」という充実感は今でも大好きです。

従業員のみんなとお箸作りをしていく中で、家業である「ヤマチク」の凄さをはじめて実感しました。工場を見渡せば、世界でここにしかない機械、世界でここにしかない技術が沢山ころがっています。
「本当に世界に通用する、すごい会社だ」これが当時感じた率直な感想です。

夏は暑くて冬は寒いこの工場に「世界唯一」がてんこ盛り。

一方で「危うさ」も感じていました。みんなすごい仕事をしているのに、給料が安い。当時の熊本県の最低賃金は708円前後、それに近い水準だったと思います。そしてそれに対して誰も疑問を抱いている様子がない。
当時のヤマチクはOEM商品の製造が100%の下請けメーカーでした。
在庫リスクがなく、販路拡大のための営業コストが不要な一方で、単価は安く、薄利なビジネスモデルでした。そのため給料も思うように上げられなかったのです。

加えて、OEMはお客様のブランド名で作るため、「私たちが作りました!」と言えません。お箸を作っている人たちは、自分たちの作ったお箸がどこで売られ、どんな人が使ってくれているかも知ることはできません。「やりがいが感じられる仕事」とは程遠い状態でした。

世界唯一の技術を持った人たちが一生懸命働いている。
でも、その一生懸命にちゃんと報いることができていない。

このままではこの仕事を「やりたい」と言って入社してくれる人はいなくなってしまうのではないか。いくら受注があっても担い手がいなければ作れません。

いずれ廃業してしまう・・。
毎月給料日のたびに、漠然とした不安を覚える。
そんな1年目でした。


大した特技も経験もない。あるのは嫉妬心だけ。


私にはコンプレックスがあります。
それは、家業に活かせる特技や経験を持っていないこと。

もともと頭が良いわけでもないし、ものづくりや機械いじりが得意なわけではありません。法学部出身というと聞こえは良いですが、勉学よりも麻雀やバイトなどに熱中してしまったため仕事に活かせるレベルの知識は残っていませんでした。
IT企業出身ですが、コーディングもろくにできないポンコツSEです。

他のアトツギさんのように「学生の頃に起業」「元リクルート」といった輝かしい経歴や経験が全くありません。これまでのキャリアを活かして家業に取り組んでいるアトツギさんは本当に羨ましい。嫉妬すら感じます。

恥ずかしながら「家業に戻るからには自分は何かしらで名を遺せる」と勝手に思い込んでいました。Forbesやカンブリア宮殿なんかに取り上げられるのだと。本当に何の根拠もないのですが笑

でも現実はまるで違う。
埃まみれになりながら田舎で箸を削る毎日。
家業の置かれた状況に危機感を感じながらも、有効な対策すら頭に浮かばない。

雑誌をひらけば、同世代の起業家やアトツギたちが夢を力強く語っている。
SNSをひらけば、一緒に笑い合っていた大学や前職の同期たちが活躍している。

「このまま何も成すこともなく、死んでいくのか」とちょっと腐っていました。
大した努力もしていないのに。
今思えば自分もまた「価値ある仕事をしている」という自負を欲していたのかもしれません。


その一言に、ただ泣くしかなかった。


ある日、竹を切る職人さん(切り子さん)のお仕事に同行させてもらったことがあります。大きい竹を、急斜面から本当に重労働です。

70代とは思えないパワーを見せる切子さん。

体験させてもらいましたが、当時20代の私にも過酷な仕事。
そのお仕事をしているのは、なんと70代の小柄なおじいさん

「本当に大変な仕事ですね」

私は率直な感想を伝えました。すると切り子さんは、さらっとこう答えました。


「世の中には、損する人も必要やけんねぇ。」

その言葉に、僕は大きなショックを受けました。
小さな田舎町の出身でありながら、中学校から私立に進学し、奨学金をもらうことなく大学にも進学した私。

不自由のない私の営みは、彼らの我慢の上に成り立っていた。

そんな残酷な真実を切り子さんの「何気ない一言」で突きつけられました。
いや、家業に戻って社員さん達と一緒に働いているときから薄々気が付いていたのかもしれません。安い給料。報われない努力。整っていると言い難い労働環境。
ただ、見て見ぬフリをしていた。
そのあとは気の利いた言葉を絞り出すこともできず、作業を終えて切り子さんと解散。私は、帰りの車でただ泣くことしかできませんでした。


なんか、腹立ってきたな・・・。


その日の夜、ヤマチクの抱えている課題とその原因を全て書き出してみました。

なぜ、竹を切る人が報われないのか?
それは、竹の買取価格が高いから。

なぜ、給料や原材料の買取価格が上げられないのか?
それは、下請メーカーで予算が厳しいから。

なぜ、唯一無二の技術を持ちながら下請メーカーに甘んじているのか?
それは、南関町が産地でもなく、ヤマチクのブランド力もないから。

なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?・・・・
何度も、何度も、問いを重ねていきました。
このとき初めて真剣に家業に向き合った気がします。

「なんか、腹立ってきたな・・・」
課題と理由を書けば書くほど、現状の理不尽さに怒りが湧いてきました。
何より、その理不尽さに疑問すら感じず現状に甘んじていた自分自身に腹が立つ。

現状をぶっ壊す
お箸革命

勝手にペンが走りました。
現状の事業の延長線上に、未来はない。
ヤマチクが生き残るには事業転換が必要だ。
根底をひっくり返す、まさに「革命」のような。


そして現在。


家業に戻ってからもう11年。気づいたら代表取締役ですか。

泣きながら帰った夜に書いた、「事業戦略」を時々見返します。
戦略というのも憚られる拙い内容ですが、僕の経営の「源泉」というか、生々しい感情が感じられます。
中には達成できたものもチラホラあります。

「自社ブランドを作る」
2019年に自社ブランドokaeri完成

amanaで撮影もしましたね。懐かしい


「世界進出する」
2024年時点で17カ国に輸出。

2024年にはオランダでヤマチクのお箸を販売しました

「お店を作る」
2023年11月11日 ファクトリーショップ「拝啓」オープン

「拝啓」のここで写真撮るのもお馴染みになりました

「脱下請け」
2024年現在、自社ブランドの売上は全体の70%

まだまだ出来ていないことも沢山あります。

「憧れの仕事にする」
「南関町を竹のお箸の聖地にする」
「竹を日本の戦略資源にする」
「給料を2倍にする」
「新工場を建てる」
「竹の買取価格を1300円にする」
「社員旅行で海外に行く」
「カンブリア宮殿に出る」

などなど、むしろ未達成のものの方が多い。

ヤマチクとしても、経営者 山﨑彰悟としても、ようやくスタートラインに立てただけです。
「竹の、お箸」を世界のスタンダードにする。
「お箸革命」はここからが正念場です。
これからもっともっと面白くしていきますよ。

今後も事業のなどを「毎月1本」記事にしていきたいと思いますのでぜひフォローをお願いします。過去に書いた記事もありますので、併せて読んでもらえると嬉しいです。

最後に僕の大好きなプロレス名言で締めくくりたいと思います。

「俺が墓に糞ぶっかけてやる!」

革命戦士 長州力

あ、違うこれじゃない。

「自分の力を信じ、常に前を向いて戦うこと。それが大切だ。」

革命戦士 長州力


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